大統領府の境内にある統一新羅時代の石造如来仏像(ソウル市有形文化財)が、日帝強制占領期間の1913年に慶州からソウル芸場洞(イェジャンドン)倭城台(ウェソンデ)の朝鮮総督官邸付近に移された直後に開かれた開眼式行事の写真が初めて公開された。大統領府仏像を撮った過去の写真の中でも、最も早い時期に撮ったもので、寺内正毅(1852~1919)初代総督が頭を下げて拝礼する場面などが撮られていて目を引く。
チョン・インソン嶺南大学文化人類学科教授は、最近日本の東京大学博物館所蔵遺物を調査する過程で、大統領府仏像の古い開眼式写真2点を発見したとし、3日、写真をハンギョレに公開した。この写真は、1910年代に朝鮮古蹟調査を行った建築会社が、関野貞の資料の中から捜し出したものなどという。チョン教授は「当時、関野とともに調査して写真撮影を専門担当した植民史学者のヤツイセイイツが撮ったものと見られる」と推定した。
公開された写真2点は、開眼式場で寺内総督が拝礼する場面と、記念品が置かれた仏像を側面から撮ったものだ。2枚とも別途の保存用紙に挟まれているのが特徴だ。寺内総督が登場する写真の場合、雪に覆われた岩の前に安置された仏像の前に、礼檀を置いて頭を下げて拝礼する寺内と、それを見守る日本人僧侶2人の後ろ姿が見える。実際、寺内は1913年2月16日の日記で、官邸前の絶壁の下に安置された仏像の前で僧侶の丸山和尚の主宰で山縣政務総監、明石将軍らが参加した中で開眼式を開いたと記録しており、写真と符合する。寺内が慶州から搬出された仏像を別途に儀式まで行って迎え、ヤツイなどの官学者まで呼びだして写真を撮ったことを示している。
もう一枚の写真では、台座上に座る堂々とした仏座像の姿と、その下に開眼式の記念品としてささげられた皿の果物と燭台を見ることができる。写真を挟んだ保存紙には「朝鮮総督府新羅石仏開眼式」 「寺内総督礼拝」という説明文が書かれ、総督府が主導した開眼式であることを示す。
チョン教授は「仏像は1912年11月、総督の慶州巡視当時に歓心を買おうとした現地の日本人有力者によってこっそりと搬出され、開眼式の後にもその事実が長く隠されていたが、21年が過ぎた1934年3月に毎日新報に総督府博物館が仏像の所在を見つけたという記事が報道され世間に知られることになった」とし「写真は寺内が開眼式を通じて不法搬出された仏像を私有化し、朝鮮の遺跡で暗躍した日本人たちの文化財不法搬出行為に事実上の免罪符を与えたことを意味する」と分析した。大統領府仏像は、1939年に北岳山(プガクサン)麓の現在の大統領府の場所に新しい総督官邸が建てられると、再び移されて現在に至っている。9月にソウル市文化財委員会が、仏像の国家宝物指定建議案を議決した後、文化財庁の専門家たちが指定の可否を決めるための調査作業を始めている。