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小倉コレクションの韓国文化財 4000点など調査が必要

登録:2014-08-25 19:37 修正:2014-08-26 07:35
本当に返してもらうべき文化財がある
京畿道利川の市民たちが返還運動を繰り広げた東京の大倉集古館の利川郷校五層石塔。日帝強制占領期の1918年、巨商だった大倉喜八郎が朝鮮総督府から払い下げを受けたものだ。ハンギョレ資料写真

 2010年11月、日本政府は日韓併合100周年を迎え、韓国政府に「引き渡し」を約束した古書1205冊の目録を公開した。目録を閲覧した韓国内の研究者たちは驚いた。『朝鮮王室儀軌』と共に、還収本の中心である旧韓末朝鮮統監だった伊藤博文の搬出本(伊藤本)66種938冊は全く知られていなかった本だ。

伊藤本は1965年の日韓協定当時に一部だけ戻ってきたことがある。2000年代以降、韓国の学者たちが日本の宮内庁を訪ねて搬出本を調査したが、伊藤本が所蔵されていたとは考えもしなかったという。「私たちには見せなかったおびただしい搬出目録を出してきて、気前の良さを感じました。しかし、せっかく韓国の文化遺産が多数帰ってくるという状況では、目録の公開を要求することは憚られる雰囲気でした」

 匿名のある研究者の回顧に見られるように、対馬仏像返還問題でもつれた論議の背景には、かつて日本に流出した文化財返還交渉の過程で経験した被害者の侮辱感と、これにより悪化した韓国国民の排日感情が存在している。韓国政府は1950年代初めに文化財返還交渉を始めた段階から、情報不足のために不利な状況で日本側との交渉に臨まなければならなかった。韓国内の進歩・保守の対立構図を論ずる際に喩えられる、一方にひどく傾いた競技場でサッカーをするようなものだった。

 約10年に及ぶ専門家による交渉を経て1965年に妥結した日韓協定で、韓国政府は日帝強制占領期に大邱(テグ)の巨商だった小倉武之助が持ちだした遺物コレクションを含む4479点の返還目録を提示(確かな統計ではなかった)した。実際に返還されたのは3分の1ほどの1432点だった。韓国内での実態調査のみを主要な根拠に要求したが、日本の文部省傘下の文化財保護委員たちによる広範な調査で所蔵品情報に精通していた日本側は上手に要求を退けた。

個人の所蔵品は還収対象ではなく、強制搬出の根拠がないであるとか、正当に購入されたという調子だった。還収品の中には寒松寺 石造菩薩坐像など国宝級の遺物もあったが、認め印や草履など価値の低い遺物も少なくなかった。日本はこれに先立ち1958年には、漁民拿捕事件を解決するために返還した遺物約100点さえも、1965年の協定の際の返還目録に含ませるという小細工をした。遺物情報が貧弱だった韓国政府は、異議申し立てすらきちんと行えなかった。

 今年6月現在で韓国文化財庁が把握した日本国内にある韓国文化財の総数は6万7708点。不法搬出品ではなく、種々の経緯で日本に渡ったと公式に確認された文化財の数だ。個人所蔵品まで含めれば、日本国内にある韓国文化遺産の数は約30万点に及ぶというのが定説だ。個人の所蔵品は国公立博物館所蔵品よりはるかに公開が難しい点を考慮すれば、公式集計数値は氷山の一角という推定に説得力がある。

 韓国政府には還収対象となる文化財の公式目録がない。搬出経緯の情報が貧弱であり、体系的な調査が実施されていないためだ。学者や機関毎に還収対象に対する意見が異なり、情報の偏差も深刻だ。概略的に言えば、学界と市民団体らが還収対象として挙げるのは、1965年の日韓協定当時に韓国政府が返還を要求したものなどだ。約4000点と推算される小倉コレクションと、朝鮮総督府が1920年に発掘し1938年に東京帝室博物館(現、東京国立博物館)に渡った慶尚南道梁山夫婦塚からの出土品などが代表的だ。

もう一人の巨商、大倉喜八郎が1918年に朝鮮総督府から払い下げを受けた事実が明らかになり、京畿道利川の市民たちが返還運動を行ってきた東京の大倉集古館にある利川郷校五層石塔、景福宮から持ち出した鎌倉の観月堂なども搬出の経緯が確実になっている。小倉コレクションの場合、具体的な遺物の入手経緯として盗掘説などが飛び交っているだけで、1982年の東京博物館寄贈当時もまともに公開されなかった。したがって、韓国内と日本側の双方で体系的で執拗な搬出経緯の調査が必要だ。

 日本政府側は1965年の日韓協定による文化財「引き渡し」と、これに続く2011年の旧朝鮮総督府搬出本古書「引き渡し」で、政府次元の交渉は完全に終結したという立場を固めている。韓国内の学界では還収の正当性だけを叫ぶのではなく、研究者たちによる持続的な現地調査を通じて詳細な遺物情報と流出経緯の把握に政府が積極的に協力し、日本の「終結論理」を崩す努力が必要だと強調している。

韓国文化財庁は2012年、傘下に専門担当機関として国外所在文化財財団を創設したが、人材確保や予算支援が十分でなく交渉力に限界があると指摘される。日韓協定の文化財交渉史を研究してきたリュ・ミナ国民大学教授は「日本が基本情報を独占してきた状況であり、感情のもつれだけではなんの利益を得ることができず、日本の協力者さえも離れることになる」として、「調査人材の養成と研究支援に力を尽くし、徹底的で客観的に把握された事実に基づき還収への力を蓄えていかねばならない」と注文した。

ノ・ヒョンソク記者 nuge@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/652395.html 韓国語原文入力:2014/08/23 11:17
訳M.S(2340字)

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