髪を結い上げ両手を合わせた官服姿の若い女性。このような格好で、約1600年前に高句麗の外交の一線で活躍した女性の同時通駅官(訳官)の絵が世に再び姿を現した。
高句麗壁画から当代の女性通訳官の人物図が新たに確認された。近代以前、朝鮮半島の王朝の通訳士を研究してきたチョン・スンへ水原女子大学教授が、1976年に発見された平安南道南浦(ナムポ)徳興里(トクフンリ)の5世紀初めの高句麗古墳の壁画を集中的に分析し、最近見つけた絵だ。チョン教授は、墓の主人である幽州刺史の鎮にあいさつに訪れた幽州一帯の13郡太守(特定地域を治める行政官の長)の行列を描写した墓の前室西壁の壁画の隅に通訳を務めた男女の官吏の絵が描かれていたことを確認したと、29日明らかにした。古代朝鮮半島の外交現場に女性通訳官が存在したという事実が初めて実物で確認されたものだ。
チョン教授がハンギョレに公開した壁画の図版によると、西壁の壁画は上列に6人、下列に7人の太守が堵列した姿が示されているが、女性通訳官は下列の一番前に、男性通訳官は上列の一番前に両手を合わせて上げたまま座している。両通訳官の人物の横には墨文字で「…通事吏(トンサリ)」という官職の名称が記されている。学界ではこの名称を、現在の通訳官に当たる当時の高句麗時代の下級官職の名称と解釈している。チョン教授は「『通事吏』のうち『通事』は古代訳官(通訳官)を指す一般的名称であり、『吏』は古代の下級官員を通称した言葉」と説明した。
女性通訳官は複雑な結い上げの髪型で、一目で女性であることが分かる。頭に髪の毛を豊かに見せるために乗せた他の髪の毛の束である「加髢」と、かもじを当て高く結ったまげを指す「高髻」を一緒に編んで上げているのが特徴だ。この通訳官はひとまず高句麗の女性と推定できるが、外国から亡命してきた流民だった可能性もある。
近代以前の歴史資料や文献記録で女性通訳官の存在を示す事例は、国内外の学界に報告されたことがない。古代壁画に女性官吏の姿が現れたことも非常に稀なケースだ。チョン教授は「高句麗壁画に女性通訳官が描かれていたという事実は、女性史の側面から驚くべき事実であるばかりでなく、世界的にも非常に特異なケースだ。新羅、百済と違って高句麗は官職に女性を置くほど、女性の地位が高かったものと思われる」と指摘した。
徳興里壁画古墳は壁画56カ所に書かれた銘文約600字が書かれており、高句麗の墨書記録の宝庫に挙げられる。この銘文の記録を通じて幽州刺史の鎮という墓の主人の名称が刻まれた墓地名と、広開土王在位当時の408年に作られたという造成経緯が把握できる数少ない高句麗の墓だ。太守来朝図が描かれた壁画の内容はもう知られているが、南北朝鮮、中国学界は他の高句麗古墳で容易に見られない豊富な銘文記録のため、文句解釈を巡る議論により関心を傾けてきた。特に墓の主である幽州刺史の鎮が当時中国の北朝の河北省の幽州(現在の北京付近)を治めた人物で、中国から来た亡命者であるだろうという韓国と中国の学界の主流説と、高句麗の西北強域の統治者だったという北朝鮮の学界の見解が鋭く対立し、端に描写された男女の通訳官の実体は今まで深層的な研究がまったく行われなかった。チョン教授は「従来の学界は精密な分析なしに服飾史の脈絡から男女の通訳官の人物図を大概は侍女や召使程度に見なしてきた」とし、「高句麗時代の女性通訳官にまつわる歴史的脈絡を明らかにしたのは、今回の研究が第一歩を踏み出したものといえる」とした。
チョン教授は来月3日に開かれる韓国木簡学会の定期発表会で「古代の役人」という論考を通じて、徳興里にある古墳壁画の女性通訳官に対する研究成果を発表する予定だ。