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「広開土王」銘が刻まれた青銅器、国家宝物に

登録:2015-09-03 22:55 修正:2015-09-04 07:44
壺ウ塚で発見された青銅器の底面。高句麗広開土王のために作ったと漢字古体で刻まれている =文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 高句麗の「広開土王」銘が刻まれた新羅の青銅器が国家指定宝物になる。文化財庁は慶州の新羅古墳である壺ウ塚から出土した広開土王の銘文が彫られた青銅器と、18世紀末の朝鮮正祖の母、恵慶宮洪氏の還暦祝いの場面を描いた「奉寿堂進饌図」、16世紀の科挙及第者同期たちの集いの図である「喜慶楼榜会図」を宝物に指定したと3日明らかにした。

 宝物1878号になった慶州壺ウ塚出土青銅器は、1946年に慶州銀鈴塚と共に壺ウ塚を発掘して出てきた有蓋盒(蓋のある器)で、国立中央博物館に所蔵されている。 取っ手がついて蓋と一体となる膨らんだ器の底面には「乙卯年国岡上広開土地好太王壷ウ十」の16文字が彫られているが、「乙卯年(415年)、3年前に亡くなった広開土王を賛えて作った十番目の器」と解説している。 すなわち高句麗長寿王3年(415)に製作された広開土王銘壺ウ10個中一つという意味で、現在他の器は伝えられていないばかりか、高句麗ではなく新羅古墳から出土しており、当時の両国の密接な関係をよく見せる史料だ。

 「奉寿堂進饌図」は正祖が1795年に父親の思悼世子の墓である顕隆園を参拝するために行幸した時の様子を描いた八幅屏風「華城行幸図屏」中の一幅だ。 70年代に在日同胞が東国大博物館に寄贈した作品で、画面構成や遠近法の使用方式が18世紀末の宮中記録画様式をよく見せるものとして評価されている。「喜慶楼榜会図」は1546年に科挙に合格した同期生5人が宣祖が即位した1567年に全羅道光州(クァンジュ)の喜慶楼で会って集いを開いたことを記念する図で、数少ない朝鮮初16世紀の絵画遺産だ。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/707244.html 韓国語原文入力:2015-09-03 11:38
訳J.S(900字)

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