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[インタビュー]安倍首相の愚かな決定で日本は孤立する

登録:2015-10-12 23:11 修正:2015-10-13 06:02
中国武漢大学国際問題研究院長の胡徳坤教授
中国武漢大学国際問題研究院長・胡徳坤教授 =ハン・スンドン先任記者//ハンギョレ新聞社

 「このまま行けば日本は孤立するだろう」。抗日運動と反ファシズム戦争分野で中国の最高権威者であり、国際水路(海洋)分野の専門家でもある中国の歴史学者、胡徳坤教授(69)の警告であり予言だ。

 「サンフランシスコ講和条約(1951年締結、1952年4月発効)は事実上米国と日本の二国間取り引きであった。 第2次世界大戦で敵国だった日本との講和条約は、米国、ソ連、英国、中国の4大国が全て合意した土台の上に締結されなければならなかった。 だが、ソ連は署名を拒否し、中国は共産党も国民党も共に出席の機会自体を剥奪された。 その結果、中国は釣魚島(尖閣諸島)等の帰属(領有権)問題は上程すら出来なかった。 サンフランシスコ講和条約の最大の被害者は中国だ」。 胡教授は今月8日、成均館大で招請講演を行った後「韓国人はどう思っているのか知りたい」と問い直した。

抗日運動・国際水路分野で中国最高権威者
先週訪韓「第2次世界大戦と中国」講演
「サンフランシスコ条約の最大被害者は中国」
戦後、独島・釣魚島問題の“火種”は
植民地の連鎖独立を避けた英国に“責任”
“日本の安保法制”は米国にも悪影響

 今日の“独島(ドクト)問題”がサンフランシスコ講和条約締結の際に日本の戦後領土主権問題を曖昧に処理した米日の“談合”の結果であるだけに、胡徳坤院長の話は「それについて韓国も言いたいことがあるのではないか」という意味に聞こえた。 その時、条約の草案を作成した米国は「韓国もまた戦勝国に含め独島(ドクト)も韓国帰属と明記したが、日本の抗議によりその内容を抜いてしまい、結局韓国は公式招請も受けられなかった。 日帝侵略の最大被害国と主要交戦国を排除したこの条約は、戦後の東アジア秩序再編はもちろん今日まで強い影響力を発揮している。

 この日の講演の主題は「第2次世界大戦と中国の抗日戦争」。 武漢大を出て1970年から母校で「第2次世界大戦史」、「日本近現代史」、「中国外交史」を講義して副総長まで務めた胡院長は「第2次世界大戦の勝利は中国と世界各国数百万人民の犠牲との対等交換だった」とし「それは簡単に得たものではなかった」と話した。

 彼は国民党の前方戦争(正面戦場)と共産党の後方戦争(敵後戦場)を軸にした中国人民の全面的抗日戦争が日本軍のソ連を狙った北進政策、東南アジアと南西太平洋を狙った南進戦略、インドとインド洋・中東を狙った西進戦略の全てを失敗に終わらせるのに“決定的役割”を果したと話した。 そして、韓中の抗日戦線協力、戦後韓国などの独立、国連創設など国際秩序の再建にも中国が重要な役割を果したと強調した。 しかし、「そのような事実が世界に正しく伝えられず意味も縮小・蔑視された」と指摘した。

 今月4日、済州島で開かれた「第8回アジア海洋地理問題会議」にも参加した胡院長は、最近の安倍政権の動きと関連して「韓国、中国にも影響を与える愚かな決定」と話した。「違憲的であり危険な信号だ。日本が果たして平和的に発展できるか、隣国の人間として心配せざるをえない。 米国は日本の“平和憲法”制定を主導しておきながら、その趣旨に背く安保法案を通過させるよう日本政府に圧力を加え、日本偏向的な政策をとっている。 それは将来、米国の外交に否定的な影響を及ぼすだろう。 日本の最近の動きはウィンウィンへ進む時代の潮流に逆行するもので、このまま行けば日本は孤立するほかはないだろう」。彼は「歴史学者として適切でない発言かもしれないが、我々は常に警戒心を持って注視して警告せざるをえない」と付け加えた。

 胡院長は質疑時間に「1946年、独島が戦後韓国に帰属しなければならないと明記した中国共産党延安総司令部作成の党案資料を直接見たことがある」と話した。 第2次世界大戦後の国際秩序(ヤルタ体制)の土台になった43年12月のカイロ会談で、蒋介石は「戦後韓国を独立国家にしなければならない」と主張した。 ルーズベルトも同意したが英国は「韓国を日本の統治から抜出させる」とだけ明記するよう内容の修正を要求した。「これに対して(当時の)王寵惠・中国代表は直ちに反対した。王寵惠は日本の大陸政策は韓国の合併から始まったし、もし“日本の統治から抜け出させる”とのみ言及し他のことを言わないならば今後に重大な問題が残ることになって日本が新たな計略を用意するかも知れない」と指摘した。

 胡院長はその理由も説明した。 「その時、英国はもし韓国の独立を明記することになれば、香港やマレー半島、ミャンマーなど英国が支配していた国や地域の連鎖独立に結びつくと見てこれを敬遠した。英国は日本が占領していた台湾・澎湖諸島など中国西南海の島々と琉球(沖縄)も単に日本から分離しなければならないと言っただけだ。 それが現在の釣魚島紛争などの素地を残す一因となった。 英国はその時点でも依然として植民主義的態度を捨てなかった」

 サンフランシスコ講和条約締結時、米国の態度もやはり英国と似ていた。米国は日本を冷戦の東アジア橋頭堡として確保し、米軍の駐留を保証させるため釣魚島や琉球(沖縄)などの帰属問題を戦犯国である日本に有利な方向で妥結させた。「将来、米国の外交に否定的な影響を及ぼすだろう」という胡院長の警告にもかかわらず、少なくとも今日まで、米国の東アジア戦略は第2次世界大戦終戦以後特に変わっていない。

ハン・スンドン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/712452.html 韓国語原文入力:2015-10-12 19:00
訳J.S(2427字)

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