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朴正煕独裁が生んだ追憶の建築

登録:2015-01-05 22:15 修正:2015-01-06 07:48
元老建築家ユン・スンジュン口述集出版

キム・スグン事務所設計チームを率いた生き証人
ウォーカーヒル ホテルなど60年代の建築秘話
強引な5・16広場建設で汝矣島公園誕生
安易な世運商街設計は誠意が足りなかった

 「汝矣島(ヨイド)公園は朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領のおかげで禍転じて福となった。平壌(ピョンヤン)蒼光通りの軍事パレードを羨んだ彼が、5・16広場を作れと無理強いしなかったら、住宅で一杯になって都市公園はできなかっただろう」

1987年10月1日、汝矣島広場で行われた国軍の日軍事パレード。 //ハンギョレ新聞社
現在の汝矣島公園。//ハンギョレ新聞社

 「世運(セウン)商街は土曜の午後にキム・スグン先生に突然呼びだされて引き受けた課題だったが、数日後に計画案を整理して差し出すとすぐに事業が始まった…。市長に直ぐ描いて持って来いと言われ…、建築的にそれだけ誠意が足りなかったし、私もその付近は好きでなかった」

世運商街。//ハンギョレ新聞社

 1960年代のソウル汝矣島開発と世運商街建設など、韓国現代建築史の主要な出来事の裏面を披露した元老建築家ユン・スンジュン氏(78・元都市建築会長)の肉声証言が世間に明らかになった。 2011年から近現代建築記録物の収集保存作業を進めてきた木泉(モクチョン)キム・ジョンシク文化財団は最近『ユン・スンジュン口述集』を出版した。 チョン・ボンヒ ソウル大学教授など後輩の研究者4人が2012年に10回にかけて行ったインタビュー内容を整理したものだ。 ユン氏は60年代に建築界の巨匠キム・スグンの事務所で設計チームを率いてユ・ゴル、キム・ウォン氏など後輩の建築家を育てた。当時軍事政権が支援した大規模建築開発事業の実務を引き受けたた建築史の生き証人でもある。

 口述集でユン氏は、61年から9年間にわたり仕えた師匠キム・スグンの行跡とエピソードを中心に証言している。 60年に大学建築科を卒業した後、キム・スグン事務所に入ってウォーカーヒル、自由センター、オヤンビルディング、扶余博物館など、60年代の主要建築物の実施設計を行った時期の秘話が多い。 64年に開館した南山(ナムサン)自由センターを作る時、師匠キム・スグンが付近から出た漢陽城の積み石を保管するという概念を持って部材に使い、この話を故人から直接聞いたという証言は論争になりそうだ。 米軍の休養施設を作るウォーカーヒル建設には、国内の主要建築家が徴用のように動員されて将校に怒鳴られながら仕事をしたというキム・スグンの伝言や、50年代末の国会議事堂懸賞公募に建築科の学生たちまでが没頭し休講が続出したという体験談などが興味深い。 彼は師匠のキム・スグンを「十から十二を作り出すほど“出力能力”と独創性に優れていた」と回顧した。

元老建築家ユン・スンジュン氏。//ハンギョレ新聞社

 独裁者朴正煕にまつわる記憶もたびたび出てくる。70年代末、空間ドローイングまでしながら建築家を呼び出して忠清(チュンチョン)圏への行政首都移転案を作れと要求した朴正煕について、彼は建築家になっていれば独裁者にはならなかったと話す。蝸牛アパート崩壊のように問題があるものでも作りさえすれば良いという風土を作ったのは独裁の悪い結果だという評価も下している。

 財団側はこの口述集と共に、90年代初めの現場批評等を通して当代の時代精神を建築界に吹き込んだ4・3グループ建築人たちの資料集も出版した。 キム・インチョル、チョ・ソンニョン、スン・ヒョサン氏など参加作家15人の回顧談を整理した『4.3グループ口述集』と談論集『転換期の韓国建築と4.3グループ』だ。 90年4月3日、14人の建築家の集いに始まり、90年代中盤まで建築史紀行と破格的な作品展示、批評会などを実践した4.3グループの建築史的意味を整理した初めての結実といえる。

ノ・ヒョンソク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/672187.html 韓国語原文入力:2015/01/05 21:09
訳J.S(1657字)

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