金東椿(キム・ドンチュン)の<これは記憶との戦争だ>は先んじて出版された<大韓民国残酷史>(ハンギョレ出版 2013)がそうだったように国家公権力が行った‘国家暴力’を深く掘り下げる。 国家の定礎は暴力の独占的使用権だというマックス・ウェーバーの言葉を思い出せば、国家が暴力という原罪を捨てることは犬が糞をしないことぐらい不可能だ。 ウェーバーの理論を誇張すれば、夫が妻を殴打したり、両親が子供を殴れないよう国家が禁じたのは弱者の人権を保護するためではない。 国家の独占的権利を侵害するので密かな暴力は容認できないということだ。
国家暴力はほとんど軍人や警官によって最終行使されるが、それを操縦し、放置したり肩を持つのは行政と法であり、知識人と言論も一役買う。 我が国の代表的な国家暴力事件はほとんどが韓国戦争期や韓国戦争前後に起きた。 檀君以来最大の同族殺害事件という国民保導連盟員虐殺、麗水(ヨス)順天(スンチョン)事件直後に頻発した無差別民間人討伐、軍警と西北青年団の合作である済州(チェジュ)4・3事件、国軍11師団が犯した居昌(コチャン)事件など。 この時期の民間人虐殺が証拠を隠蔽しやすい谷間で起きたので、韓国戦争以後‘谷に行く’という言葉が生まれた。
<これは記憶との戦争だ>は著者が2005年11月から2009年11月まで、真実和解委員会常任委員として在職した経験を記録した本だ。 盧武鉉政権の時に作られたこの機構は、過去史でなく国家暴力によって犠牲となった個別事件の真実を明らかにする過去事清算のために作られた。 国家暴力の犠牲となった民間人虐殺問題をまともに処理しないならば、国民の国家に対する不信はもちろん、同じことの再発を防げない。 厳格な過去事清算ができたとすれば、現在 国家情報院が統合進歩党に覆いかぶせている内乱陰謀罪のような無理手は絶対に使えない。
ハンナラ党と保守言論は真実和解委を左派政権の大韓民国中傷で歪曲することにより過去事自体を否定した。 我が国の真実和解委が明らかにしようとした事件は、60余年前に発生したことであり、世界のいかなる国の真実和解委もこのような古い事件を調査したケースはないということだ。 それは過去史を知らない者が言うことだ。 4・19直後、大邱(テグ)・慶北(キョンブク)地域を中心に被虐殺者遺族会運動が全国に広がった。 だが、韓国戦争以後最初に提起された市民主導の過去事清算運動は5・16クーデターを迎えてあっという間に消えていった。 朴正熙軍事政府は4・19直後、大邱(テグ)で展開された被虐殺者遺族の血の滲むような真相究明要求を‘アカ’の運動として取り扱い、主謀者を監獄に入れた。 清算されなかった過去史はいつでも繰り返される。
虐殺・拷問のような恐るべき国家暴力は、被害者だけでなく社会を道徳的に汚染させ、正義を失踪させ「すべての政治共同体構成員の健全な意識と社会参加意志をマヒさせ萎縮させる。」 著者は一時的機構であった真実和解委の活動を自評しながら、仮にも‘真実’と‘和解’を追求すると言いながら‘正義’に出て行けない限界を骨身にしみて実感している。 加害者に対する責任を問うことが抜けているうえに、真実和解委がおさめた成果が法と制度により受容され教育現場で活用されるようにならなかったことによって、真実和解委の労苦はまるで手の平を返すように消える危機に処した。
チョン・ジョンイル小説家