米国のケネディ大統領はフォード社長出身で共和党指向の40代マクナマラを電撃的に国防部長官に任命した。 国防と戦争遂行が軍事戦略よりは米国資本主義、特に軍産複合体の経営と直接連結されたので、軍出身よりは革新的アイディアを持つ企業家が国防部の運営にさらに適任と見たためだろう。 以後、米国・英国・ドイツなど先進国の国防部長官は主に民間出身者で満たされた。 軍エリートはやはり戦争状況でその勇気と知恵が光り輝くが、戦争遂行それ自体も最終の戦略的判断は軍人ではなく政治家らが下す。 国家の利害が尖鋭にぶつかる国際政治では‘敵と私’が固定されず、戦闘は窮極的に政治的目的に従属するためだろう。
韓国では、軍出身者が政治をしたり国家を率いることはできないという点はかなり以前にすでに結論が出た事案だ。 米国の東アジア政策の目標が変わり、それにより冷戦時代に通用した韓国の安保と国防の概念も変化を要請されて久しい。 検察調査で明らかになった全斗煥一家の姿こそ、政治軍人が常に安保を名分として掲げたが、実際にはどれほど‘自分の利益’に命をかけた人間であったかを赤裸々に見せる物証だ。
ところで過去の考えをそのまま大事に保管してきた全斗煥の後輩が20年余ぶりにまた戻ってきた。 国家情報院の国家機密公開、開城(ケソン)工業団地交渉での超強硬路線、戦時作戦統制権返還延期提案など最近朴槿恵(パク・クネ)政府で出てきた一連の事態を見ながら考えることは、北韓を圧迫し、国民の‘軍規をとらえて’米国にぺたっと‘うつ伏せれば’国家安保が守られると考えた冷戦時期に戻ったような感じを受ける。 ‘敵と私’の区分が曖昧になるとか‘敵’と和解することになれば軍の必要性が弱まり、それは彼らの‘居場所’がなくなることを意味するので、彼らはあのように対北韓敵対時期に戻ろうとしているのではないかという気がする。
事実、朴槿恵(パク・クネ)大統領が国防部長官はもちろん大統領国家安保室長、国家情報院長など外交安保ラインの要職を全て陸軍士官学校出身の先後輩期数の軍出身者に任命した時、この政府が対北韓超強硬路線を歩むだろうということはすでに予告されていたし、彼らが今の複雑な外交安保問題を解決するには適任者でないという指摘が提起されていた。 青年期に単純な反共反北韓イデオロギーだけを注入された後、自由な批判的学習機会を一度も持てなかった軍元老が、安保、国家情報、対北韓・対米関係、ひいては国家の運命を左右するそのような世の中ではない、今は。 しかも上司の命令には服従、人命軽視、成果主義など、帝国主義日本軍の悪い伝統と親日過去を清算できなかったのみならず韓国戦争期やベトナム戦争期の民間人虐殺、各種武器導入不正、天安(チョナン)艦事態当時の警戒失敗など、致命的な誤りを犯してもその患部を刃物でえぐり取ったことがなく、反省の一度もまともにしたことがない韓国の軍部と軍指揮官ではないか?
21世紀韓半島が処した安保・国際秩序で‘ドイツ兵丁’や‘忠誠が身についた’軍指揮官はもはや必要なく、20世紀世界史と冷戦史、中国の変化をよく学習し米-中覇権競争の隙間で韓国が新しい安保概念を作り出し、日本の再武装に備える国防力を備えることを熟慮する軍エリートが必要だ。
ところでそれが可能だろうか? このように版を組んだ当事者が朴槿恵大統領ではないのか? 大統領が彼らの時代錯誤的国益観と安保思想を最も信頼するだけでなく、彼らの上に立って政治的判断をなしえないならば、将来の我が国はどこへ行くだろうか?
金東椿(キム・ドンチュン)聖公会大社会科学部教授