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[世相を読む] ‘労働中心’、人間中心のアジア/キム・ドンチュン

登録:2013-06-11 00:04 修正:2013-09-23 22:47
金東椿(キム・ドンチュン)聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

 去る3日未明、中国 吉林省の工場で爆発による火災事故が起きた。 この事故で120人余りが死亡し77人が重傷を負った。 死傷者の大部分が農民工であったし、犠牲者の90%は近隣農村に居住する女性労働者だったという。 今回火災が発生した作業場には一つの出入口しかなく、その出入口すら出勤時間以後には施錠された状態であったために大型惨事につながったと言う。 ところで、これは中国全域で毎日のように発生している労働集約事業場産業災害の極一部に過ぎない。 今回の事故の根本原因は、人に対する軽視、特に社会的弱者である農民工の生命に対する軽視にある。 出勤すればまったく出て行くことなど考えず、飼育される牛のようにひたすら働けとの話だ。 企業主は労働者の密集度が非常に高い作業場に消防通路や緊急照明灯と消防設備を準備せず、現地消防部は安全検査をする際に設備不足を見ても気が付かないフリをしたのだろう。

 このような事故に接すれば韓国の人々は1960~70年代に起きた多くの炭鉱惨事を思い起こすかもしれない。 しかし中国の原始的な労働惨事は私たちの‘過去’ではなく、まさに‘現在’だ。 2008年利川(イチョン)の冷凍倉庫で40人の日雇い労働者が亡くなった事故もこれとほとんど変わりなく、最近唐津(タンジン)の現代製鉄で5人の労働者が死亡した事故も労働者の生命軽視の結果であった。 利川の場合、事故現場で有毒ガスが発生しても出口は一つしかなく、竣工検査もでたらめであり、安全監督もまともに実施されておらず、作業目標に合わせるための無理な作業強行が事故の原因だったという。 今回の中国、吉林省の事故も過小評価を受けている農民工が主な犠牲者だったように、韓国の多くの重大災害もやはり直接雇用状態にない日雇い・移住労働者が主な犠牲者だ。

 韓国言論は‘安全不感症’という曖昧な用語で責任を曇らせているが、金儲けを労働者と人間の生命より重視する賎民資本主義の労働蔑視文化、当局の黙認、企業主軽処罰慣行が韓国で相次いでいる安全事故の原因ではないかと考える。 最近1年間、三星(サムスン)電子・LG化学・現代製鉄・GS建設・大林(テリム)産業・漢拏(ハルラ)建設で計36人の労働者が死亡したが、産業安全保健法によって処罰を受けた企業主はただの一人もいなかったという。

 60年代韓国のカトリック労働青年会を導いたカルデン神父は「生命なき物質は工場から価値ある商品になって出るが、この世で最も高貴な人間はそちらでは単なるゴミに変わってしまう。 労働者がそのような現実を克服して神の姿に似た尊い人間として生まれ変わらなければならない」と説明した。 今風に言えば、この都市の美しい建物、そこに陳列された素敵な商品、従業員の感動的なサービスの後には数多くの労働者の苦痛、うつ病と自殺があるので彼らが尊重されてこそ結局は私たち皆が尊い人間になれるという話だ。

 1年に10万人余りの労働者が重大災害で死亡する中国が、21世紀新しい文明の先導者になれないように、1年に2000人余りの労働者が働きながら死んでいく韓国で‘創造経済’や経済民主化は考えることさえできないことに違いない。 社会の最も底辺の人々の人権水準が、その国の品格の水準だ。 少数の特権と多数の奴隷化が共存する世の中は新しい身分社会だ。

 去る100年余り東アジアを支配してきた植民地近代化、富国強兵の旗じるしは労働者の生命を焚きつけのように取り扱った歴史であった。 生命の価値、労働の価値を尊重しないならば‘アジアの世紀’というスローガンに何の意味があるだろうか?

金東椿(キム・ドンチュン)聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/591193.html 韓国語原文入力:2013/06/10 22:40
訳J.S(1683字)

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