1948年4月3日韓国単独政府樹立に反対する済州島(チェジュド)南労働党はストライキと蜂起を起こした。 しかし当時、西北青年団,警察の残酷な弾圧で民心は武装隊側に向かっており、ついに軍は300人余りの武装隊を討伐する過程で彼らに同調していると疑われる民間人を無惨に虐殺した。 軍の焦土化作戦で山間地帯の数多くの村が地図上からなくなり、老人・児童・女性を含む3万人余りが犠牲になり、残った家族は暴徒の頚木をかけて今日まで65年間にわたり国民でない国民として生きてきた。
ところがナム・ジェジュン国家情報院長は2008年から「済州4・3事件は北(韓)の指令で起こした武装暴動ないしは反乱」と講演し、前回の聴聞会で彼の考えを再度尋ねると「我々軍人が知っていることは…(そのように承知している)司法府は別の判断をした」として自らの主張を曲げなかった。 一方、参与政府の国防部長官だったキム・ジャンス大統領府安保室長は過去のインタビューで「4・3事件は明確に左派による武装暴動」としつつ「軍警による一部民間人被害は認めるが、それは暴動鎮圧過程で避けられない事故であった」と主張した。
今まで学校で済州4・3事件をまともに教えてこなかったし、特に陸軍士官学校と軍では完全に軍の恥ずかしい過去については教えなかったために、彼らがこのような認識を持つようになったことは理解する。 しかし今、彼らは国家安保ラインの最前線に立つ責任者であり、軍の不法を擁護してはならない位置にある。 特にキム・ジャンス室長は参与政府の閣僚まで務めた人であり、盧武鉉大統領が4・3犠牲者に公式謝ったことまで知っている。 済州4・3真相調査委員会による調査の結果、被害申請者1万4000人の内80%が軍警の無理な鎮圧作戦で虐殺されたことが確認されたが、それは決して正当な作戦でも‘一部の被害’でもなかった。
ところでこのように新たに確認された事実を知ろうともせず、以前の政府が公式に決めた報告書と前大統領の公式謝罪まで全く無視して、北韓と左翼にすべての責任を転嫁しながら、司法府と軍の立場は違うと主張するならば、果たして軍の体面が立つのだろうか? 真に力のある軍隊ならば敵との戦闘には勇敢でなければならず、民間人には寛大でなければならないのに、‘国民のいない軍隊’は戦闘に敗北すれば罪なき民間人にうっぷん晴らしを日常茶飯に行なう。 済州4・3事件当時、そして韓国戦争前後に軍がどうだっただろうか? 私は真実和解委常任委員の仕事をしながら軍の公式歴史と異なる戦争期の国軍の残虐性を証言する数千名の陳述を読んだし、済州4・3事件当時に強硬鎮圧を拒否して9連隊長から追い出されたキム・インニョル将軍のように不当な命令を拒否した義に徹した軍警も多かったということを知っている。
北韓との戦争危機が高まるこの渦中で、安保責任者の神経はより一層鋭くなるはずだ。 ところで真正な安保とは何か? 彼らが済州4・3事件をこのように見ているという言葉は、未だに安保という伝家の宝刀を突きつけて軍と情報機関が民間人にこのような残酷行為をしてもかまわないという言葉ではないのか? 自身の恥ずかしい過去は認めずに、民間人を不法査察したり政治に介入してきた国家情報院と機務司がどうして国民の信頼を受けられるだろうか? 去る65年間、国家を恨みながら傷を抱いて生きてきた犠牲者に、率直な謝罪をできないばかりか、これらの人々を暴徒として追い立てるならば、寝つこうとしていた魂が再びむくっと起き上がるだろう。
済州4・3当時、無理な討伐を展開したことを軍が公式‘認定’し、陸軍士官学校でそれを教える時に国民の軍隊として新たに出なおせるはずだ。
キム・ドンチュン聖公会大社会科学部教授