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"慰安婦問題 興奮・怒りを越えて、平和の温もりを込めたかった"

登録:2013-08-04 21:07 修正:2013-08-05 08:12
ドキュメンタリー‘描きたいこと’クォン・ヒョ監督
ドキュメンタリー映画<描きたいこと>を演出したクォン・ヒョ監督が先月31日ソウル鍾路区(チョンノグ)東崇洞(トンスンドン)のあるカフェで製作過程などについて話している。 イ・ジョンア記者 leej@hani.co.kr

 <描きたいこと>(15日封切り)は日本軍慰安婦被害者であるシム・タリョン ハルモニの話を扱った絵本<花ハルモニ>の製作過程を描いたドキュメンタリー映画だ。 2007年、韓・中・日3国の作家は各自が考える‘平和’を主題に絵本を作り同時に出版することにする。 韓国の作家クォン・ユンドク氏は慰安婦被害女性シム・タリョン ハルモニの証言を土台に日本軍慰安婦の話を絵本にすることを決心する。 しかし絵本を出版する過程は容易ではない。 日本の出版社は右翼の攻撃を憂慮して、クォン氏の絵本を何度も修正してほしいと要求する。 この映画は絵本を作る過程を通じて韓国・日本両国の克明な歴史認識の差を見せると同時に‘平和’のために私たちはどんな目で日本軍慰安婦問題を見つめなければならないかを自問させる。 映画を作ったクォン・ヒョ監督に先月31日ソウル大学路(テハンノ)のあるカフェで会った。

韓・中・日 絵本共同出版作業に参加した日本の作家 浜田桂子(左)がシム・タリョン ハルモニに会って「申し訳ない」と言って泣きわめくとハルモニが慰労する映画の中の一場面。 シネマ タル(月)提供

慰安婦絵本の製作過程を撮った4年
平和の大切さを悟り共感した時間
光復節に全国20館で封切りします

 "<描きたいこと>を撮った4年余りの歳月は、私にとって限りない学習と悟りの時間でした。" クォン・ヒョ(33)監督は2008年に映画を撮り始め、2012年初めに撮影が終るまでのそれなりに長い時間をこのように定義した。 自らに‘このように撮って良いだろうか’を数えきれない程自問する過程であったということだ。 以後も編集を何度も繰り返した。 彼は「‘私は日本軍慰安婦問題をどのように見るべきか’を考えることが、結局映画をよく作る方法を探す道」という結論を下したと話した。

 彼が当初この映画を撮ることになったのは純粋に‘個人的で偶然な機会’のためだった。 「私の叔母がクォン・ユンドク作家と友人でした。 韓・中・日の平和絵本作りプロジェクトをするそうなんだけど、独立映画をやっている君がこれを撮ればどうかと言ったのです。 それで2008年に初めてクォン作家に会うことになったのです。」 クォン監督は大学で歴史学を専攻した。 というドキュメンタリーを作りもした。 だが、それまで‘慰安婦問題’をドキュメンタリーで作ろとは思っていなかったという。 「今まで色々な監督がこの問題を映画で作ったので‘違うように撮る自信’がありませんでした。」 今まで日本軍慰安婦問題を扱った映画はかなり多い。 劇映画<母さんの名は朝鮮ピーだった>(1991)をはじめドキュメンタリーも<低い声>(1995)連作3編など計7編、アニメーション<赤い木>(2003),短編<からだ>(2002)も製作された。

 だが、クォン・ユンドク作家に会って絵本の製作過程を知り、彼の考えは次第に変わった。 特に韓国作家会議でクォン作家は、あえて絵本の最初のページに‘日章旗’を入れないと頑張り、他の作家は‘入れなければならない’と論争を行う過程を見ながら、クォン監督は新しい悟りを得たと語った。 「私も初めはクォン作家が理解できませんでした。 その時、クォン作家が‘国家性暴行は日本だけでなく戦争がある所であればどこでも起きる残酷なことなので、日本だけでない普遍的な戦争の問題として描きたい’と話しました。 戦争がなくなれば初めてこういう残酷なことがなくなり、そうするために平和が必要だということでしょう。」クォン監督はこの間私たちがこの問題に対して‘興奮して、怒って、戦ってきた’とすれば、今後は‘共感して、悟って、平和を追求しなければならない’という結論を淡々として暖かく込めたかったのだ。

 クォン監督はハルモニたちに私たちが加えた‘2次加害’の問題と韓国が犯したもう一つの国家性暴行問題についても言いたかった。 「ハルモニたちは‘体を売ってきた女’という後ろ指のために長い時間この問題を隠したのではないでしょうか。 私たちの責任も大きいのです。 また、韓国がベトナム戦で犯した国家性暴行問題も反省しなければなりませんね。 映画に出てくるこのような部分はとても論争的だと思いましたが、皆さん特別な指摘はありませんでした。 幸いと言うべきか?」 彼は映画を作ったのは自身ではなく 「数多くの人々」だと話した。 「俳優キム・ヨジン氏が映画の中で絵本朗読を、小規模アカシアバンドが音楽を務めてくれました、快く。 そしてソーシャルファンディングを通じて募金活動に参加した方々もいらっしゃいました。」映画の封切りを控えて目標額の約75%である1500万ウォン程度が募金された。 数多くの支援で作られた映画なので、収益金の中から一部を‘日本軍慰安婦歴史館建設基金’と戦時性暴行被害女性たちに支援する‘蝶々基金’に寄付することにした。 10日には大邱(テグ)で特別試写会を開いて収益金全額を大邱‘日本軍慰安婦歴史館’建設基金として出す。

 「シム・タリョン ハルモニが撮影中盤から8ヶ月以上にわたり病院に入院されました。 病院でもとても明るくてユーモラスでしたが…。 ついに退院できずに2010年12月に亡くなったために、ハルモニが‘押し花’をする場面を撮れなかったことが一番残念です。」 封切り予定館は現在全国約20館に過ぎず、観客の団体観覧申請を期待している。 「今、日本軍慰安婦被害者中の生存者は58人に過ぎません。 全員が亡くなればその後の問題は私たちの責任でしょう。 この映画を見られる方々が慰安婦問題について習うのではなく感じて考えてくださることを願います。」ユ・ソンヒ記者 duck@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/598309.html 韓国語原文入力:2013/08/04 20:11
訳J.S(2649字)

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