中産層の壮・老年をマンション投機の隊列に参入させたのは、歴代政府の不動産浮揚、財閥優遇、規制緩和の政策だった。高学歴の判事や検事、医師、高位公職にあった人々がその隊列の先頭に立ったことが韓国社会の悲劇だ。それは、儒教の伝統やキリスト教思想とも全く関係ない、単に動物的な人生であるためだ。
ソウル市教育庁は26日午前、江西区(カンソグ)の旧貢進小学校で「住民と教育共同体が共にするソウル特殊学校設立推進説明会」を開いたが、「特殊学校設立反対推進非常対策委員会」(非常対策委)所属会員と住民約20人が「説明会を直ちに撤回せよ」という字句の書かれた垂れ幕を掲げ、結局チョ・ヒヨン教育監の説明会への入場を阻み、その過程で小競合いまで起きた。昨年の説明会で障害を持つ生徒たちの両親がひざまずいて学校の設立を訴えたが、効果はなかった。2回目の説明会も不発に終わった。
特殊学校ができれば、マンションの相場が下がると考える住民たちによる特殊学校設立反対は、昨日今日のことでない。江南(カンナム)のマンションは数億ウォンも上がっているのに、自分の町内のマンションは上がらなかったので、大きな損害を被ったと考える彼らの剥奪感をなだめることは容易でない。昨年末から始まった江南とソウルのマンション価格暴騰を主導した人々は、50代以上の壮・老年層だという。彼らはマンションを買って、運が良ければ数億ウォンを儲けられ、不安な老後をしっかり保証されうるということを数十年間に体得した人々だ。そのようにして財テクに成功した人々は、財産を子どもに譲ることが両親として尽くすべきことだと考える。
2006年のソウル市長選挙で、ニュータウン建設を約束したオ・セフンを推した人々がこうした考えを持ったし、2007年の大統領選挙で李明博(イ・ミョンバク)候補に票を集中させた人々もそうだった。60~70年代の骨身にしみる貧困を体験したこの世代は、李明博がそうであったように、開発情報を得て該当地域の土地をあらかじめ買っておき、数十、数百倍の差益を得た後に、株式などに投資して子どもへの便法相続を試みる。特に裕福でもない普通の李明博世代の人々も、公共福祉が脆弱なこの国でマンション一戸を子どもに譲ることが最も確実な福祉だと理解している。
不動産投資で数億ウォンを儲けることが、幸運であり能力だと考える彼らにとって、土地公概念とか不動産保有税の引き上げとかいう政策は“アカ”の主張と聞こえるだろう。70年代以後、歴代政府の都市再開発政策や抜け道だらけの租税政策が、彼らにこのように金を儲ける機会を提供した。そして、家族以外の隣人を見て回る余裕はないから、彼らの家族投資、家族相続の行動は彼らが生きてきた世の中では最も合理的な選択だった。
ところが、彼らが思いもしなかったことが起きた。連日の最悪のPM2.5は、彼らと彼らの孫たちにも襲いかかる。それだけではない。全てが汚染された世の中で、彼らの孫たちも安全な水や食べ物や魚を楽しむことができなくなった。彼らの孫たちは、今や働き口も見つけられず、結婚もできず、結婚しても子どもも産まない。しかし、彼らが本当に考えてもみなかったさらに深刻な事態が毎日広がっている。彼らが不労所得を得ている間に、高い賃料を払えなくなった自営業者は店を閉め街頭に追いたてられ、住宅を持たない友達の孫たちは住居難民となり転居を続け、ソウルからますます遠方に引っ越ししなければならず、一日2時間以上の出退勤バスに疲れたからだを預けなければならない。
いま韓国の平凡な中産層の壮・老年数百万人を、これほどまでに特殊学校の設立に絶対反対したり、マンション投機の隊列に参入させたのは、歴代政府や政界の不動産浮揚、財閥優遇、規制緩和の政策だった。しかし、十分な老後保証を受けられる高学歴の判事や検事、医師、高位公職にあった人々こそがその隊列の先頭に立ったことが韓国社会の悲劇だ。それは、儒教の伝統やキリスト教思想とも全く関係ない、単に動物的な人生であるからだ。彼らが受けた高等教育や現在の職業的業務は、公益を無視して自分の孫たちだけが幸せに暮らせるようにする行動に没入しろとは教えないからだ。
すでに成功した壮・老年層は、自身の生き方を変えようとはしないだろう。しかし、政府は40代以下の青年に、このように生きるよう信号を与えてはならない。数億ウォンの現金がないからと金を儲ける機会をのがしたと考えるような、せめて老後の生計だけでも保証を得たいと望む大多数の壮・老年層の剥奪感をなだめなければならない。そのためには、マンション分譲政策、租税政策、都市開発政策を全面的に再考しなければならない。公共福祉をさらに拡充すべきであり、財力があっても子どもに相続することは正しくないと考える高齢者たちが、公益寄付を通じて社会に寄与できる道を開かなければならない。