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[寄稿]歴史を捨てた歴史家による教科書執筆

登録:2016-07-05 08:46 修正:2016-07-06 06:58

 仮にも民主共和国というこの国で、教科書を、それも歴史教科書を陰気な密室で(あるいは高級ホテルで)、情報機関員でもない教授や教師ともあろう人たちが、まるで泥棒猫のように隠れて書くのだという。教科書のことを教本というのは、教育の基本となる本であるからだ。教育の基本となる教科書を誰が書き、彼らをどのような基準で誰が選抜したのか隠さたままでいる。朝鮮王朝時代にも、「王朝実録」は厳格な原則の下、当代最高の学者の中から選りすぐった士官らによって執筆された。

 国定教科書編纂が堂々としたものであるなら、政府はなぜ編纂基準や執筆者リストを7カ月も公開せずにいるのか。教科書の執筆に参加した人物の所信というのなら、なぜ堂々と表に出れないのであろうか。教科書国定化への転換そのものが反歴史的であり、歴史学界の絶対多数が反対しているためではないのか。

 国民の税金で運営する作業、それも教科書を書く重要な仕事をする人たちが誰であるのか明らかにしないのは、犯罪行為に近い。情報機関や犯罪捜査を担当する警察の匿名性は役割の特殊性が認められるが、本のなかでも教科書、それも歴史教科書の執筆を匿名にするのは、いかなる理由や言い訳も許されない。「過去を支配する者は未来を支配する。現在を支配する者は過去を支配する」(ジョージ・オーウェル)。だから悪事をしたり業績のない権力者は、歴史を歪曲・捏造しようとする。また、支配を永続させるため特定の事実を変造するのが常だ。

 朝鮮を強奪した日本帝国主義が真っ先に急いだのが、朝鮮史編修会による歴史の歪曲・捏造だった。その時に作った歴史は今日の植民地近代化論者たちの教本となっている。国史編纂委員会は総督府の朝鮮史編修会と変わらない。国家機関が歴史教科書を編纂し、編纂基準も執筆者も公開しないのも朝鮮史編修会とあまり変わりがない。少なくとも「国史」を編纂する機関(長)なら、当代の権力より「歴史」を意識しなければならない。

 清朝末期に「古史鉤沈論」を書いた学者のキョウ自珍(キョウは龍の下に共)は「その国を滅亡させるなら、まず先にその史を除去せよ。その文坊を壊し規律を破壊するためには、まずその史を除去せよ。その人材を断絶させて教育を根絶するためには、まずその史を除去せよ」と歴史の権能を高く評価した。日本の朝鮮史編修会、朴正熙(パクチョンヒ)元大統領の維新教科書、そして朴槿恵(パククネ)政権が教科書国定化を強行する理由は、いずれも歴史を権力に従属させ、思い通りに操作するためだ。先人たちが国は亡びても歴史だけ守れば再び復興できるという「歴史精神」とはまったく異なる。

キム・サムウン元独立記念館長//ハンギョレ新聞社

 歴史教科書の執筆に参加しているという46人(推定)の覆面の学者や国定教科書編さんを総括するという国史編纂委員会に伝える。丙子胡乱(後金の朝鮮侵攻)後に「大淸皇帝功德碑」の碑文を書かされた漢城府判尹の呉俊(オジュン)は後日、羞恥心から官職を捨て、筆をとった右手を石で打ち再び文を書けなくしたという。デービッド・ワトソン・ノーブルは「歴史を捨てた歴史家」で、欧州の古い因習と権力存続などを避け新大陸(米国)に渡った学者たちが、ヨーロッパの遺産をそのまま踏襲した行動を分析した。歴史を捨てた歴史家たちが歴史を執筆して編纂したらどうなるかと。

 政策の誤りやミスは正せるが、教科書は少なくとも一世代の精神史を支配する。さらに、教科書は個人の私説ではなく学界の通説、それも厳格な基準と検証を経て記述する高度の学問的な結実でなければならない。「覆面の記事」が密室で、権力が示した指針により、真っ暗な執筆をすることが放置されていいはずがない。野党3党は、先の総選挙の公約に国定教科書の廃棄を挙げた。第20代国会の初の対政府質問が始まった。国民が見守っている。

キム・サムウン元独立記念館長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-07-04 19:24

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/750854.html 訳Y.B

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