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「家族」を利用し北朝鮮に亡命させ、逮捕…北朝鮮から来たある医師の人生

登録:2024-04-18 06:06 修正:2024-04-18 08:24
真実和解委員会、約70年ぶりに人権侵害と決定 
申立人の娘「亡くなる瞬間まで北朝鮮に残してきた家族のことを想っていた」
1971年、ソウル鷹岩洞の慈恵医院時代、パク・ナモブ院長が看護師たちが見守る中、4歳の末娘ユンギョンさんを抱いている=パク・ユンギョンさん提供//ハンギョレ新聞社

 韓国軍の諜報要員が北朝鮮に残してきた家族に会いたいと願う「想い」を利用して北朝鮮行きを提案し、教育訓練までさせた。指示どおり北朝鮮に渡ったが、北朝鮮の人民軍を装った韓国の諜報要員に捕まり、利敵罪で10年間服役させられた。この小説のような事件の主人公に対し、約70年ぶりに人権侵害の決定が下された。

 16日、真実・和解のための過去事整理委員会(真実和解委)は第76回全体委員会を開き、第2軍団司令部陸軍諜報特殊部隊(HID・諜報部隊)の欺瞞にだまされて北朝鮮に渡ってから逮捕された後、利敵罪で服役した故パク・ナモブさん(1918~1989)の「国防警備法違反捏造事件」に対し、真実究明決定を下し、国家に再審による名誉回復措置を勧告した。

 真実和解委はパク・ナモブさんが1954年5月20日から諜報部隊に抑留された後、同年6月3日に検挙されたと報告されるまで、諜報部隊に約2週間不法拘禁され、軍人・軍属の犯罪だけを捜査できる国軍情報機関である諜報隊がパクさんを逮捕・抑留して北朝鮮を称賛する告白書を書かせたことは、「憲兵と国軍情報機関の捜査の限界に関する法律に違反するだけでなく、職権乱用に該当し、刑事訴訟法第420条7号の再審査の理由になる」と判断した。

 パク・ナモブさんは1940年3月頃、京城医学専門学校(現ソウル大学医学部)を卒業した後、1948年1月頃、平壌(ピョンヤン)の北朝鮮中央病院内科で医師として勤務していた。朝鮮戦争が勃発すると、1950年12月、父親と叔父4人とともに南に渡った。母親と息子2人、娘1人は北朝鮮に残したままだった。その後、釜山(プサン)の内科病院で勤務したのち、1952年3月頃には春川(チュンチョン)に移住して開業した。

パク・ナモブ院長の若い頃の姿=パク・ユンギョンさん提供//ハンギョレ新聞社

 事件当時、パク・ナモブさんはいとこのKさんが春川にある陸軍諜報特殊部隊に勤めていたため、病院をよく往来した部隊の将校たちと知り合いになった。パクさんは彼らを通じて北朝鮮に残した母親と妻子の消息を知ろうとした。すると、諜報部隊の将校たちはパク・ナモブさんに直接北朝鮮に渡り妻子に会って情報も収集してくるのはどうかと提案した。パクさんはこれを受け入れ、春川から北に4キロメートル付近で数日間教育訓練を受けた。訓練を終えたパクさんは彼らの案内に従って北朝鮮に渡ったが、その後すぐに人民軍の服装の軍人に逮捕された。結局、北朝鮮に渡った動機と釜山・春川地域の軍配置および動向と大韓民国を誹謗する陳述などの告白書を提出した。数日後、彼らは人民軍ではなく、人民軍の服装をした諜報部隊員である事実を知った。諜報部隊に逮捕された場所も休戦ライン以南の地域だった。パク・ナモブさんの娘である事件申立人のパク・ユンギョンさん(56)は2022年10月、ハンギョレに寄稿した文で「父親の財産を狙った従兄弟と結託した特務隊の工作だと(父親は)訴えたが、無視された」と明らかにした。

 しかし、真実和解委の調査が行われるまでは、諜報部隊の欺瞞と緻密な罠に父親がかかった具体的な内幕は知らなかったという。真実和解委関係者はこの事件と関連し「担当調査官が2年間にわたる執拗な資料追跡で、真実を究明することができた」と説明した。同関係者は「はじめは資料が本人の判決文しかなかったが、担当調査官が戦争後に北朝鮮から韓国に渡った医師たちを取り上げた論文を検索して調べていたところ、パク・ナモブ事件のパズルを完成することができた」と語った。

生前の故パク・ナモブ慈恵医院院長=パク・ユンギョン提供//ハンギョレ新聞社

 1964年に釈放されたパク・ナモブさんは翌年、ソウル新設洞(シンソルドン)で「大洋医院」を開き、1966年にチュ・ミョンスンさんと再婚した後、ソウル鷹岩洞(ウンアムドン)に移住して慈恵医院を開院した。パクさんは獄中で縁を結んだ複数の長期囚や病院費の出せない患者を無料で診療したという。

 パク・ナモブさんは、1975年8月には北朝鮮の放送を聞いたという理由で緊急措置第9号と反共法第4条違反の疑いで治安本部に連行され、厳しい拷問の末に懲役5年、資格停止5年を言い渡され、再び投獄された。これについては、真実和解委が2022年12月、「連行および拘禁が適法でなく、調査過程で治安本部捜査官らは職務範囲を抜け出し陳述を強要・欺瞞・脅迫し、虚偽の自白をさせたことにより、事件が捏造された」として、真実究明決定を下した。

 パク・ユンギョンさんは、父親の1954年事件に関する真実究明決定直後の16日、ハンギョレの電話インタビューで、「父は北朝鮮に残してきた妻子の安否が気になっただけなのに、とんでもない事件に巻き込まれ、人生の黄金期を10年も刑務所で過ごしたことを思うと、胸が痛む。父は亡くなる瞬間まで無実なのに刑務所に入れられたことではなく、北朝鮮に残してきた家族に会えなかったことを、最後まで無念に思っていた」と述べた。

コ・ギョンテ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1136966.html韓国語原文入力:2024-04-17 21:45
訳H.J

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