日本の戦犯企業に1940年代の日帝強制動員の責任を問う被害者たちが、10年以上に及ぶ損害賠償訴訟で最終的に勝訴した。
韓国最高裁2部(主審:イ・ドンウォン最高裁判事)は21日、1940年代に強制動員され、労役に苦しんだ被害者と遺族が日本製鉄(旧新日鐵住金)と三菱重工を相手取って起こした損害賠償請求訴訟2件で、上告を棄却し原告勝訴判決を下した原審を確定した。日本製鉄に対する訴訟は提訴から10年9カ月、三菱重工に対する訴訟は提訴から9年10か月たっての確定判決だ。
日本製鉄を相手取った訴訟は、Kさんなど7人が2013年3月に提訴した。彼らは太平洋戦争が起きた1942~1945年、日本製鉄の前身である国策軍需業者の製鉄所に強制的に動員され労働を強いられた。三菱重工に対する訴訟は、1944年に三菱重工の名古屋航空機製作所の工場で働いた強制動員被害者3人と遺族のOさんが2014年2月に起した。両事件ともに一審と二審は被告企業に1億~1億5千万ウォン(約1億1千~1億6千万円)の賠償を命じる原告勝訴判決を下した。
最高裁が初めて日帝戦犯企業に対する強制動員被害者の損害賠償請求権を認めたのは2012年。2000年の故チョン・チャンヒさんなど強制動員被害者たちが三菱重工を相手に損害賠償訴訟を起こし一・二審で敗訴したが、最高裁は2012年5月、「韓日請求権協定で強制動員被害者の損害賠償請求権が消滅したわけではない」と判示し、原告勝訴の趣旨で破棄差し戻した。
今回の二つの事件は、2012年の最高裁の破棄差し戻しを見て他の被害者が勇気を出して相次いで提訴したものであり、「第2次訴訟」と呼ばれる。第2次訴訟の二審裁判所は第1次訴訟の再上告審の結論が出るまで判決を保留したが、第1次訴訟の最終結論はヤン・スンテ最高裁長官時代にずっと引き延ばされ、2018年10月になってようやく確定した。以後、第2次訴訟が再開されたが、原告として名を連ねた被害当事者たちは全員帰らぬ人となった。