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日本は朝鮮半島危機で機会をつかむのに…韓国、尹政権の危険な「日本への全賭け」

登録:2022-11-20 23:13 修正:2022-11-21 08:50
[ハンギョレS] 地政学の風景 
日本の東アジア戦略
18日、東京のある街路で北朝鮮のミサイル発射のニュースを知らせる大型モニターの前を市民たちが通り過ぎている/EPA・聯合ニュース

 第2次世界大戦の際、日本は1945年5月にドイツが降伏し戦況が完全に決まったにもかかわらず、降伏せず粘った。日本の指導部、特に軍部の決死抗戦という分別のない情勢判断が、その理由として取り上げられている。

 そのような日本が降伏した理由は、米国の原爆攻撃で莫大な被害を受けて初めてその深刻さを悟ったためだというのが、太平洋戦争終戦に関する主流の見方だ。「米国の原爆」のためではなく「ソ連の参戦」のためだという修正主義的見解もある。8月9日に日本に対する宣戦布告をしたソ連が破竹の勢いで満州を席巻し、日本本土まで侵攻される脅威にさらされ、日本が降伏したということだ。ソ連が本土に進軍すれば、天皇制など日本の軸が完全に破壊され社会主義化されるという恐怖から、急いで降伏したという分析だ。

日本が第2次世界大戦時に早く降伏したなら

 この二つの見解は、日本が情勢判断ができず無謀にも粘り、降伏が遅れたという点で共通している。果たして当時の日本指導部は、絶望的な戦況やソ連の参戦も予想できないほど狂気と機能不全に陥っていただろうか。

 これに反論する主張や研究もある。当時、日本は終戦後に有利な立ち位置を作るために降伏を遅らせたという主張だ。ソ連の参戦を誘導し、東アジアで米ソ対立構図を作り、終戦後の日本の立ち位置と役割を作る「勢力バランス策」だったということだ。日本が早めに降伏したなら、中国本土や満州、朝鮮半島など東アジア全域は米国の勢力圏に陥る状況だった。その場合、何の牽制も受けない米国は日本に過酷な戦後処理を強要し、戦後の日本の役割と地位も取るに足らないものとなるだろうと日本が計算したということだ。日本大学の小代有希子教授は、2004年4月に「米国歴史学報」に出した「ユーラシアの衰退:日本の第二次世界大戦の終戦戦略(Eurasian Eclipse:Japan's End Game in World War II)」という論文でこのような分析を行った。小代教授は、日本が1944年10月、フィリピンのレイテ沖海戦での敗戦の時から勝算がないことを知り、ソ連と米国の間で勢力バランスを取る終戦戦略を準備したと分析した。終戦戦略の樹立を研究した海軍少将の高木惣吉は、1945年3月の報告書で、米国はアジアでソ連を自国だけでは相手にできないと判断される時だけ日本の役割を認めるだろうとみていた。参謀本部で対ソ連終戦工作を担当した種村佐孝大佐も、日本は米軍の本土攻撃にかかわらず、ソ連が満州と朝鮮半島に進駐した後に降伏すべきだと勧告した。

 日本の終戦戦略は、ソ連の朝鮮半島進入を容易にし、米国の朝鮮半島進入を阻止することだったという点を小代教授は究明しようとした。1945年に入り、日本は朝鮮半島の兵力配置を調整し、南側で米国を防ぐことに注力した。また、中国にいた兵力100万人をソ連の侵攻に対抗するために満州に移動させることもなかった。日本の皇軍で最高の戦力といわれていた関東軍は、ソ連が進軍すると大きな抵抗もせずに退却した。当時、ソ連軍が1里前進すれば日本軍は2里退却せよという命令を受けていた。

 日本は無条件降伏を要求したポツダム宣言を、ソ連の参戦から30時間後に受諾した。日本はソ連の参戦を誘導し、東アジアでソ連の立地を作り、米国に降伏したのだ。これによって日本は米国に連帯してソ連を牽制する役割と地位を作ることができた。

 講和派だった元総理大臣の近衛文麿は「ソ連の参戦は神からの贈り物であり、いまこそ戦争を終わらせることができる」と述べた。終戦後、日本は米国の安保の傘の下で安保費用を払わずに高速の経済成長を果たし、第2次大戦時に夢見た大東亜共栄圏を経済的に享受することができた。終戦後、吉田茂元総理大臣は「第1次大戦の勝者だった日本よりも第2次大戦の敗者だった日本の方がましだ」と述べた。

 日本は中国やロシアなどのユーラシア大陸勢力を阻む海洋勢力の一員である地政学的地位を持つが、大陸勢力との勢力バランスを常に追求してきた。これは朝鮮半島に基本的に脅威と危機を作りあげるが、朝鮮半島はその中で機会を探らなければならない宿命でもある。朝鮮半島の分断は、このような終戦戦略を生んだ日本の地政学的な勢力バランス策によるものだといえる。しかし、日本が米国と中国・ロシアの間で勢力バランスを図るということは、終戦後の保守本流の潜在的な路線であり、これは分断された朝鮮半島にも作用した。

 吉田茂に代表される戦後日本の「保守本流」は、経済優先と周辺国重視の路線を展開しようとし、吉田は中国との関係を早期に正常化しようとした。後任の鳩山一郎、石橋湛山なども中国と和解して経済利益を得て、冷戦秩序において一方の側に立つことは警戒しなければならないと主張した。

日本の日和見主義戦略が狙うもの

 日本は1990年代初めに社会主義圏が解体され始めると、真っ先に北朝鮮との関係正常化に乗り出した。1990年9月に当時の自民党の金丸信副総裁が北朝鮮を電撃訪問し、金日成(キム・イルソン)主席と会談した後、日朝国交正常化共同宣言を発表しており、また2002年に小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問して日朝共同宣言を発表したのが代表的だ。しかし、安倍晋三政権以降、日本は中国の浮上と自分たちの相対的な弱体化という状況変化に直面した。日本は再び「北朝鮮の悪魔化」を使って米国との同盟を強化し、東アジアで有利な勢力バランスを図っている。文在寅(ムン・ジェイン)政権時代、朝米関係正常化を日本が背後で妨害したのが代表的だ。

 日本は中国・ロシアとの関係、特に北朝鮮との関係で「風より先に倒れ、風より先に起き上がる」といえる日和見主義と長けた処世術の二つの面を示してきた。戦後、日本は朝鮮半島の分断を一定値として有利な勢力バランスを図る地政学的戦略を基本的に選択してきた。しかし、その過程でも絶えず中国とロシア、北朝鮮との関係強化に乗り出し、立ち位置を固めてきた。朝鮮半島など東アジア情勢において、韓国は日本の戦略と立ち位置に同調化してはならず、また嫌悪してもならない。韓国が中国、ロシアおよび北朝鮮との関係を安定させてこそ、日本と向き合うための条件が整い、朝鮮半島問題で日本の肯定的な役割も期待できる。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が就任した後、日本に「全賭け」する路線は危うく恐ろしいといわれるのも、そのような理由からだ。

チョン・ウィギル|国際部先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1067985.html韓国語原文入力:2022-11-20 14:52
訳C.M

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