本文に移動

金正恩の政権掌握後に10回訪朝したドイツの政治家「北朝鮮の人々の心を把握し…」

登録:2022-09-21 02:40 修正:2022-09-29 10:03
ドイツの重鎮政治家ウォルフガング・ノバク氏が訪韓 
金正恩政権の初年から10回訪朝 
「南北は頻繁に会い、まず信頼の構築を」
ウォルフガング・ノバク元欧州議会議員=イ・ジェフン記者//ハンギョレ新聞社

 「北朝鮮の人々の心と何を望んでいるかをよく把握し、朝鮮半島の平和への過程の促進の力となりたい」

 これこそ、ウォルフガング・ノバク元欧州議会議員が老いた体で平壌(ピョンヤン)とソウルをよく訪れる理由だ。京畿道主催の「2022DMZフォーラム」の数あるプログラムの一つ、世宗研究所とベルリン自由大学が組織し16日から行われていた「韓国-欧州平和フォーラム」(高陽のキンテックス)の日程を終えた同氏に、17日午後にインタビューを行った。同氏は世宗研究所の国際諮問委員でもある。

 同氏はゲアハルト・シュレーダー首相時代に連邦首相府で政治分析と企画局長を務めるなど、ドイツ社民党の経験豊富な退役政治家であり官僚だ。ノバク氏は戦争と冷戦と分断の陰の下で幼少期と青年時代を過ごした。同氏は第2次世界大戦の真っ只中の1943年3月27日にドイツのベルリンで生まれた。間もなくドイツは西ドイツと東ドイツに、ベルリンは西ベルリンと東ベルリンに分かれた。中年時代、分断ドイツの突然の再統一を目撃。老年に至るまで統一ドイツの輝かしい成功、そして苦しみも見守らなければならなかった。同氏が分断されている朝鮮半島に格別な愛情を示しているのはそのためだ。

 同氏は複雑な表情で語った。「再統一とともにドイツは(改めて)分断された。再統一後、東ドイツの市民は自国で移住労働者へと転落した。慣れ親しんでいたすべての物事が変わってしまったからだ。司法システム、経済システム、果ては言語まで」

 統一ドイツの影の部分を振り返っていた彼の口元には、すぐ笑みが浮かんだ。「統一後、専門家や若者たちは主に東から西へと移住した。ところが最近、旧西ドイツ地域の優秀な人材がより現代的な仕事先と魅力的な労働環境を求めて旧東ドイツ地域へと移住するすう勢があるという経済界からの報告があった。旧東ドイツ地域を再建するのに30年がかかったわけだ」

 同氏は「ドイツ式の統一は望ましくない」と断言した。よく指摘されるように「準備ができていない統一」であっただけでなく、何より「危機から始まった統一」だったからだというのだ。彼の長い説明を圧縮すればこうだ。「戦後の欧州において、ドイツの再統一は関心事ではなかった。30歳未満の西ドイツ人の60%ほどが東ドイツを外国だと考えていたほどだ。何よりもドイツの分断は、第2次世界大戦でのドイツの過ちが招いた結果だ。そんなドイツが再統一した。(1980年代末の旧ソ連を含む東欧社会主義体制の)危機から統一の過程が始まった。実際のところ、ドイツは統一の準備ができていなかった。危機から統一が始まれば、傷つく人が非常に多く生じる。避けることもできたはずの非常に長く苦しい過程を経なければならない」

 「危機から始まった統一」を避けよという同氏の度重なる助言は、30年たってもやって来ない「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の崩壊」を呪文のように唱える国内外のある人々を念頭に置いた警告のように聞こえる。

 同氏は「いっそ別々に生きてゆこう」として北朝鮮を「外国」として扱おうとする傾向が若者の間で強まっている最近の韓国社会の世相を「十分に理解する」と語った。「実は今、南北は統一する準備ができていない。準備できていない統一は負担と苦痛を大きくするだけだ。重ねて言うが、準備のできていない、危機から始まったドイツ式の統一は望ましくない。まず会って対話し、信頼を築かなければならない。欧州連合(EU)のように部門ごとの交流協力で信頼を高め、同質感を高めなければならない。ドイツがオーストリア、スイス、オランダなどの隣国と平和に暮らしているように、南北もまずは平和で仲良く過ごせる環境と関係づくりに力を入れなければならない。そして、長い視野で統一を追求した方が良い。難しいが不可能ではない」

 同氏はこれまでに北朝鮮を10回訪れている。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記兼国務委員長が政権を握った初年の2012年に初めて平壌(ピョンヤン)を訪れ、2019年3月の訪朝が10回目だった。その後は世界的な新型コロナウイルスの大流行、何よりも中国の「封鎖型防疫」と北朝鮮の国境閉鎖のせいで、3年以上北の地を踏めていない。

 同氏が主にコミュニケーションを取っている北朝鮮側の窓口は、朝鮮労働党中央委の国際部長か国際担当秘書だ。同氏が欧州の中心国であるドイツ、そのドイツの代表的な政治勢力である社民党に強力な人脈を持つ重鎮であるという事実が、「平壌」の関心を引いたようだ。同氏は実際に、2014年9月には「米国政府の賛成がない」として反対したドイツ外務省を説得し、当時のカン・ソクチュ労働党国際秘書のドイツ訪問を成功させた。朝鮮半島に戦争危機の暗雲が立ち込めていた2017年には、平壌で当時のイ・スヨン労働党国際部長と会い、平昌冬季五輪(2018年2月9~25日、江原道平昌)に参加すべきであることを熱烈に説得した。無駄な努力ではなかった。金正恩国務委員長は2018年1月1日の新年の辞で「大会が成果的に開催されることを心から願う。代表団の派遣を含め、必要な措置を取る用意がある」と述べた。

 ノバク氏は「2018年9月の平壌での南北首脳会談の直後に訪朝した際」のことを、10回の訪朝の中でも「最高の瞬間」だったと述べた。「2017年と比べ、そこはほぼ全く違っていた。楽観主義と楽観の感情をあらゆる場所で感じることができた。「この期待が裏切られたら、北朝鮮社会に逆風が吹く危険性がある」と心配したほどだ。そして「2019年2月のハノイでの朝米首脳会談の決裂は最悪だった」と言ってため息をついた。そして同氏は、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領には「先制攻撃のような言葉は口にするな」と、金正恩委員長には「開かれた心」と「忍耐の心」を呼びかけた。

イ・ジェフン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1059266.html韓国語原文入力:2022-09-19 20:45
訳D.K

関連記事