父と息子が同じ仕事をするようになったのは昨年1月からだった。大学3年生の息子イ・ソンホさん(23)は軍隊を除隊した後、新型コロナ拡散によって通学が難しくなったことなどを理由に、時々父イ・ジェフンさん(62)が勤める人材供給事業所に通った。「友達のように一緒に朝ごはんを食べ車に乗って通えて」父は嬉しかった。
6日、京畿道平沢市(ピョンテクシ)の平沢港の新コンテナターミナル運営棟前で会ったジェフンさんは、2017年から約4年間、人材供給業者「ウリ人材」の作業班長を務めてきたという。平沢港で開放型コンテナと関連した各種作業、内容物の検収などの作業を行うが、業務指示の大半は元請けの物流業者「東方」が下した。東方の社員がジェフンさんに電話やカカオトークで業務を知らせ人を送ってほしいと言えば、ジェフンさんが適した人を探して送るというやり方だった。「形式上では外部の人材業者であるウリ人材の所属でしたが、実際の作業指示はすべて東方から受けました。税関の公務員が来れば私が直接説明することもありました」
現行法上、元請けが請負契約を結んだ下請け業者の職員を派遣業者の職員のように指揮・監督するのは違法だ。東方がウリ人材の職員に直接業務指示をする場合も違法派遣の素地がある。先月22日もこのような「違法派遣」行為が行われた日だった。
ジェフンさんとは別の現場労働者のAさんと東方側の説明を総合すると、先月22日午後3時41分頃、東方の現場管理者がジェフンさんに緊急に電話をかけ、「一つ抜かなきゃならないから道具を持ってさっき作業した場所に一人送ってほしい」と要請した。開放型コンテナの両サイドの扉を畳まなければならず、安全ピンを取り外す人が必要だということだ。開放型コンテナは天井がなく前後だけを固定し、非規格貨物を運送する用途に使われる。ジェフンさんはその作業の経験が長い熟練労働者のAさんを思い出し、Aさんに直接連絡しようとしたが、「よりによって目の前に息子がいたので」息子のソンホさんをAさんの元に送った。「Aさんのところに行って、道具を持って向こうに行くよう伝えてくれ」
ところがAさんは「一人で作業するのは難しい」とし、ソンホさんに一緒に行こうと言った。午後4時頃、ソンホさんとAさんは、両扉が開いている開放型コンテナとフォークリフトの運転技師2人がいる輸出入貨物保管倉庫の前に到着した。Aさんはコンテナの安全ピンを一部取り外して帰ろうとしたが、フォークリフトの運転技師の一人が「コンテナの両側の穴に入った木片を拾え」と言った。彼は東方に所属する技師だった。
3年にわたり開放型コンテナ関連の作業をしてきたAさんは、これまで一度もこのような指示を受けたことがなかったという。Aさんは「やらない」と言ったが、フォークリフト技師は再度「あそこにあるゴミを拾え」というジェスチャーをしたという。ソンホさんは「やれと言うのだからやらなきゃ」と言って、木片がある小さな穴の方に歩いて入った。この時が4時10分。ソンホさんが木片を取ろうとした瞬間、向かい側にいたフォークリフト技師がソンホさんを見ずにコンテナの片方の扉を畳んだ。その時、片方の扉が閉まる振動の影響でソンホさんの立っていた側の扉が倒れ、ソンホさんの体を襲った。扉1つの重さは300キロだった。
安全管理はまったくなされていなかった
ソンホさんの作業過程を見ると、現場を運営していた物流会社東方の安全管理と、国家基幹施設である平沢港の安全予防措置が不十分だったことがあちこちで分かる。
まず、開放型コンテナを取り扱う過程は、ソンホさんが普段やっていた業務ではなかった。ソンホさんは普段、平沢港に入ってくるコンテナの内容物を取り出して検収する仕事を主に担当してきた。しかしこの日、初めて投入された現場の危険性をあらかじめ熟知させる安全教育はなかった。フォークリフトのような重装備が使われる現場は、作業指揮者や作業誘導者を必ず置かなければならない。現場にはこのような人員もいなかった。東方関係者はこの日、本紙の電話取材に対し「現場の管理者は事故当時、隣のコンテナにいた」と話した。金属労組のパク・セミン労働安全保健室長は「作業計画書に従って手続きを守りながら行わなければならなかったが、そのような措置がなかったと思われる」とし「フォークリフトの指揮者と誘導者を配置しなければならないが、この措置がなかった部分も(産業安全保健法上)安全措置違反とみられる」と指摘した。
装備の老朽化問題もある。現場の労働者たちは、まともな開放型コンテナなら片方の扉がたたまれた振動で他の扉が一緒にたたまれるようなことがあってはならないと口をそろえた。東方側は「問題のあるコンテナだったようだ」と説明した。
さらにソンホさんはヘルメットもなく危険なコンテナ作業に入った。ジェフンさんは「以前も現場の職員がヘルメットをかぶったり安全教育を受けたことはほとんどなかった」と話した。東方側は「安全道具と装備を現場に備えたが、個別労働者に支給したわけではない」と明らかにした。パク室長は「開放型コンテナはいつも扉の作動による危険が伴う。フォークリフト作業をする時、安全な状態でなければコンテナ周辺の出入りを統制しなければならない」とし「会社の安全管理の空白状態が作った原始的な災害」と指摘した。
さらに、国家基幹施設である港湾の労働者に対する政府の安全管理監督体系も不十分だったと指摘されている。ジェフンさんは「港湾が労働者の身元確認手続きを踏んだことはない。保安教育や安全教育もしていないし、労働契約書を書いたこともない」と話した。一方、東方側は「身元確認手続き自体は行われた」と反論した。国民の力のチョン・ウンチョン議員室が集計した資料によると、2015年から昨年6月にかけて、釜山・仁川・蔚山(ウルサン)・麗水(ヨス)の港湾埠頭で11人の労働者が死亡、46人が重傷を負った。民主労総のキム・ギホン平沢安城地域労働委員長は「港湾の日雇い労働者はいまだにヘルメットをかぶらずに作業することが日常的なほど、無防備に安全の脅威にさらされている」と指摘した。
「顔も名前も隠さないでほしい…息子のむなしい死、韓国の親は知らなければ」
300キロのコンテナの扉がソンホさんを襲った後、ジェフンさんは当日午後5時近くまでソンホさんの死を知らなかった。退勤時間になっても職員たちが帰宅する気配が見えず「今日はずいぶんハードに仕事をさせるな」と思いながら現場を見て回っていたところだった。目の前に見えるコンテナが地面近くまで傾き、その下に「寝ているようにうつぶせになった息子の姿」が見えた。ジェフンさんは一瞬、「息子が何か拾っているのか」と思った。すぐにそんな恰好で物を拾っているわけはないと考えた。近寄ろうとしていたジェフンさんは言った。「どうしたんだ!死んだのか」。ジェフンさんはそのまま気を失った。
ソンホさんは救急車で近くの病院に運ばれたが、死亡した。医師は「この状態なら現場で即死したとみられる」と話した。「私はもう死にそうでした。妻にこの信じられない状況をどう話せばいいのか、どうすればいいのかわからなかった」。家に帰って妻の前にひざまずき「ソンホが死んだ」と言った。「うそ言うんじゃないよと言いながら、妻もその瞬間狂ったように叫びました」
父が携帯電話に登録した息子の名前は「人生の希望」だ。「問題を起こしたこともなくまっすぐ育ち、友達のような」息子だった。「夜、家に帰る時は父親にふざけてじゃれつき」、たった一人の姉にもやさしい、茶目っ気のあふれる息子だった。そんなジェフンさんの人生の希望を「国家と会社が無残に強奪した」。ジェフンさんは、顔も名前も隠さないでほしいと頼んだ。「息子のむなしい死が二度と繰り返されてはならず、子どもを持つ大韓民国の親はこのことをすべて知らなければならない」と思うからだ。
故イ・ソンホ君労災死亡事故対策委員会はこの日、平沢港で記者会見を開き、「九宜(クイ)駅の故キム君、泰安火力発電建設労働者の故キム・ヨンギュン君などに続きイ・ソンホ君まで、われわれは若者の死をなぜ防げないのか」とし、「コロナ(の死亡者)よりも多くの人がコスト削減という論理の下、非正規職に追いやられ、危険の外注化によって死んでいる」と訴えた。