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[ニュース分析]金正恩式の“改革・開放3種セット”、朝米会談で弾みをつけるか

登録:2018-05-21 09:12 修正:2018-05-21 10:22
北朝鮮労働党市・道党委員長ら、西安、上海を訪問 
金正恩委員長、2013年から開放の下絵を描き  
経済開発区、インセンティブ導入、5カ年計画も 
外部環境の変化なしには開放に限界という指摘も
今月14日に訪中した北朝鮮参観団が15日午前、中国農業科学院作物科学研究院を参観するために訪問した=北京/聯合ニュース

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は4月20日、朝鮮労働党の最高政策決定機関である中央委員会7期3次全員会議で「社会主義経済建設に総力集中」を「新しい戦略路線」として採択した。既存の「経済・核建設並進路線」は完了を宣言した。1960年代以来持続してきた「軍事先行」の原則を、事実上破棄したわけだ。その後、北朝鮮の「広域地方自治団体長」(労働党市・道党委員長)全員を「親善観覧団」という名で中国に送り、“改革・開放”と経済発展の動力源となってきた現場を学ばせた。

 この時期、金委員長は文在寅(ムン・ジェイン)大統領(4月27日板門店)、中国の習近平国家主席(3月25~28日北京、5月7~8日大連)、ドナルド・トランプ米大統領(6月12日シンガポール)とすでに首脳会談をしたか、あるいは控えていた。

 金委員長のこのような前例のない活発な動きは、「金正恩式改革・開放の本格化」と、彼に必須な安保環境改善に向けた戦略的な挑戦と見られている。祖父(金日成(キム・イルソン)主席)と父(金正日(キム・ジョンウン)総書記)が結局は向かわなかった「北朝鮮式改革・開放」の道に、金委員長が進むかどうか、世界が注目している。

■「中国の改革・開放の経験学びに来た」

 パク・テソン労働党中央委副委員長を団長とした「親善観覧団」は15~16日、北京で“中国のシリコンバレー”と呼ばれる中関村や中国先端農業技術の現場である農業科学院、北京市基礎施設投資有限公司などを訪れた。さらに、17日には内陸成長の拠点都市である陝西省西安、19日には中国の代表的な経済都市である上海を視察した。

 パク・テソン団長は、北京人民大会堂で習近平主席と会い、「(朝鮮労働)党が経済発展にまず力量を集中する新しい戦略路線を貫徹させることに積極的な役割をし」ようと「中国の経済建設や改革・開放の経験を学びに」来たと話した。

 金委員長の親善観覧団中国派遣は、「朝鮮半島の平和と繁栄」を戦略目標とした4・27板門店(パンムンジョム)宣言、「血縁的な絆」(大連会談)を強調した朝中の戦略的協力、何よりも朝米首脳会談後の安保環境の改善、制裁の解除と相まって本格化する「金正恩式経済改革・開放」を念頭に置いた布石だ。

 中国の改革・開放の専門家であるアン・チヨン仁川大学教授は「中国の改革・開放の過程は基本的に(経済分野で)自主性を認め、西欧に開放すること」だとし、「市・道党委員長などの参観団の訪中は、かつて中国が公式的に開放を決定する前、また直後に、実際に大規模な(経済)使節団を西欧5カ国、東欧、香港、マカオなどに派遣したのと同様だ」と指摘した。

■長い間待っていた「金正恩式改革・開放3種セット」

 金委員長はすでに2013年3月31日、労働党中央委全員会議で「経済開発区」の設置を決定した。しかし、この決定は同日に一緒に採択した「経済・核建設並進路線」の衝撃に隠れて注目されなかった。金委員長は2016年の7次党大会では「対外経済関係の拡大・発展」を強調した。金委員長は経済開発区を着実に増やしてきた。北朝鮮には現在、経済特区5カ所、経済開発区22カ所がある。「金正恩式対外開放」の中核拠点だ。特に、昨年12月には“革命の首都”と呼ばれる平壌(ピョンヤン)郊外の江南郡(カンナムグン)に経済開発区をつくると明らかにしたが、北朝鮮分析に精通した元関係者は「金正恩委員長が対外開放と関連して何らかの戦略的決断を下したという傍証」だと話した。

 金委員長は2014年5月30日、「党・国家・軍隊機関の責任者」の前で「我々式の経済管理方法」(5・30談話)を提示した。「経済分野に自主性・物質的インセンティブ制度の積極的な導入」が核心内容であり、農業分野で「畑担当責任制」(政府が提供した農業資材費用と国家の分を納付した後、超過生産物を

国、農民の間で一定の割合で現物分配)、国営企業分野で「社会主義企業責任管理制」(企業に生産量、商品品質、価格・賃金および人員規模の決定など一部の権限を与え、超過生産品の市場販売を許可)、商業分野で商業機関の経営自律権の拡大(直接取引、現金使用、需要・供給による商品価格を調整する権限の付与)として実行される。北朝鮮経済分析の権威者であるヤン・ムンス北韓大学院大学教授は「『我々式の経済管理方法』は、金正恩時代の改革措置の核心」だとし、「(北朝鮮の経済改革は)国営企業などが自ら市場経済活動を行うよう許可すること」と話した。ヤン教授は「ただ、『我々式の社会主義』というように、改革的な臭いを漂わせないようにしただけ」と付け加えた。

金委員長は2016年7次党大会で、「経済開発区」と「我々式の経済管理方法」を強調し、執権後初めて中期経済計画である「5カ年戦略」(2016~2020年)を提示した。

中国を訪問した北朝鮮労働党親善参加団一行が今月16日、北京人民大会堂で習近平・中国国家主席(前列中央)と共に記念写真を撮っている/聯合ニュース

■改革・開放に向けた安保環境改善の努力

 2012年の執権以降、「隠れた指導者」と呼ばれていた金委員長が、2018年に入って電光石火のごとく「首脳会談を通じた情勢突破」に乗り出し、世界の耳目を集めている。金委員長のこのような活発な動きは、「現時代、わが党と国家が総力を集中させなければならない基本戦線」と規定した「経済強国建設」(7次党大会事業総合報告)に必須の改革・開放を安定的に展開するための安保環境の改善を目標にしているというのが、政府と専門家らのおおよその分析だ。

 これは、社会主義政治体制を維持しながらも改革・開放で経済を立て直し、覇権国の米国と肩を並べるレベルに到達した中国の先例と比較してみれば、その流れをもっと明確に知ることができる。

 「中国の改革・開放の設計者」と呼ばれるトウ小平は、1978年12月、共産党11期3中全会で、「4大現代化路線」を採択し、“中国式改革・開放”を内外にアピールした。ただし、これは1972年のリチャード・ニクソン米大統領訪中を転機とした事実上の米中関係正常化と、これを通じた対ソ連安保均衡戦略の成功を核心の基盤とした。1979年、米中国交樹立はすでに変化した現実を制度的に追認した行為に近かった。中国は、米中国交樹立の翌年の1980年に国際通貨基金(IMF)に加盟したが、名実共に国際経済秩序の構成員になったことを意味する世界貿易機関(WTO)加盟は2001年に成就した。安保環境の改善なしには改革・開放も、国際経済秩序への編入も現実性が落ちる。

 ク・ガブ北韓大学院大学教授は「中国式社会主義経済路線への転換と国交正常化、国際機関加盟は、中国の改革・開放の『3種セット』と言える」とし、「北朝鮮の4・20全員会議の結果を改革・開放宣言だと見ている。北朝鮮が改革・開放へ行く道は中国とかなり似ている」と指摘した。

 ベトナムも安保環境を安定させた後、改革開放政策が実効を上げることができた。ベトナムは1986年、6次共産党大会で「刷新」という意味の「ドイモイ」政策を採択した。しかし、「ドイモイ」が国際社会の関心を集めて成果を収めたのは、戦争をした“敵国”である中国(1991年)、米国(1995年)と国交を結び、安保環境を安定化させた後だ。ベトナムは2007年になって世界貿易機関に加盟した。

 ク・ガブ教授は、北朝鮮のような社会主義国家が改革・開放を行うためには、米国との関係正常化が必須だと指摘した。ク教授は「米国と関係正常化がなされなければ正常な国際経済活動をするのは難しい」とし、「中国も同じだった。経済特区・開発区で外国資本誘致をしなければならないが、それには国際経済領域で覇権を握っている国(すなわち米国)の『許諾』が必要だ」と説明した。

 このような理由から、「社会主義経済建設総力集中」を宣言した金正恩委員長にとって、6月12日に予定されたトランプ米大統領との首脳会談はカギとならざるを得ない。

ノ・ジウォン、イ・ジェフン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/845491.html韓国語原文入力:2018-05-21 04:59
訳M.C

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