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[記者手帳] 北朝鮮の呼称から「同志」と「友」が消えていく背景を探る

登録:2015-04-11 03:48 修正:2015-04-12 06:04
「アバイ」「同志」は敬語、「友」はタメ口
平壌市民が2008年9月30日午前、羊角島で出勤している。北朝鮮は最近「同志」「友」の呼称の使用が減っている現状に敏感に反応し、この呼称の使用を促している 平壌/キム・ジンス記者//ハンギョレ新聞社

 若者たち、田舎っぽい表現として使用に消極的
 北朝鮮当局、「個人化」の風潮を防ぐために使用を促す

 「今、一部の人々と青少年は『同志(トンジ)』『友(トンム)』という言葉は、会議や公の場だけで使い、普段は『おい(ヤ)』『じゃあ(チャ)』と乱暴に呼びかけたり、上司や目上の人にまで雑な言葉づかいをしている」

 北朝鮮の季刊誌『文化語学習』最新号(2月27日刊)に掲載された「言語生活における文化性と言語礼節」という論文が最近、北朝鮮新世代の言語生活の変化を伝えたと、連合ニュースが5日報じました。同通信は「北朝鮮の若者たちが韓国のテレビドラマのような資本主義の文化に触れたことで、『同志』や『友』という言葉を田舎っぽく感じる傾向がある」とする、平壌出身の30代の脱北者の言葉を引用しました。

 記事に引用された内容だけでは、最近「同志」や「友」の使用がいかに減り、どのような言葉に変わったのかは具体的にはわかりません。それより、その論文は、「ヤ」「チャ」という言葉を使ったり、目上の人に対する雑な言葉づかいを非難し、「同志」「友」を使わない傾向を指摘して懸念を伝えようとするもののような気がします。

 ところで「同志」と「友」は、どう使われてきた言葉だったのでしょうか? それが分かれば、どうしてこんな非難や懸念が生まれたかも部分的に推測できると思います。

 「アバイ同志」はなぜ非文なのか?

 名詞としての「同志」と「友」はともに英語で「comrade」と訳されますが、北朝鮮ではその使い方に違いがあります。簡単に説明すると敬語か否かの問題なのですが、ユ・ホンジュン明知大学教授の『私の文化遺産踏査記4:平壌の日は晴れました』の中でそのことを垣間見ることができます。

 <説明を聞くと、北朝鮮には『友』『同志』『アバイ』という呼び方がある。友は友人や目下の人の名前や役職につけ、同志は上司や目上の人の名前や肩書きに付ける敬称である。課長トンム(友)、チョルス・トンム(友)は雑な言葉づかいであり、課長トンジ(同志)、チョルス・トンジ(同志)は敬称である。そして、同志と呼ぶには年が離れている場合、アバイが付くということである。私はつい『はい!アバイ・トンム(友)、すぐに行きます』と言った。すると案内団長がびっくりして私に告げた。『教授先生、アバイ・トンムという言葉はありません。アバイは敬称でトンムは雑な言葉づかいだから、呼び名に尊敬語を使ったり雑な言葉づかいを使ったりしたらおかしいでしょう? 南(韓国)には、そんな言葉があるのですか?』>

 話し言葉で、名前や役職名の後に「友」「同志」「アバイ」を付けますが、呼ばれる相手が誰であるかによって呼び名が異なるというわけです。 3つの言葉はどれも韓国では使われないものなので、すこし聞き慣れないかもしれませんが、あえて比較するなら、「〜さん」と言う時と「〜様」というくらいの違いがあるということでしょうか。北朝鮮の『朝鮮語礼節法』(1983)は、「社会的な地位や役職、称号と関連し、尊敬の意味を込めるためには名前の後ろに「同志」を付ける。 「同志」の代わりに「友」を付けるのは、名前だけを呼ぶ場合よりも少し敬語の性格を帯びることになる」と説明しています。結局、「友」よりも「同志」の方が敬称になるということですね。

 注目すべきは、見知らぬ人にまで付ける呼び名としての「友」「同志」「アバイ」といった言葉が、本来は他の意味を持っていたということです。

 「集団=1次関係」であり「集団的な性格の呼称」を使用

 北朝鮮の『朝鮮語大辞典』(1992年)は、「同志」を「思想と志を同じくし、同じ目的のために戦う人」、「友」は「労働者階級の革命偉業を達成するために、革命隊伍で一緒に戦う人を身近に言う言葉」と、それぞれ定義しています。誰にでも使うには憚られる言葉です。日常で出会う人々をすべて「一緒に戦う人」と看做すことになるのですから。

 「アバイ」の本来の意味は「年配の男性を身近に呼ぶ言葉」(朝鮮語大辞典)ですが、その語源は祖父やご老人を意味する北朝鮮の方言です。結局誰か見知らぬ人を「アバイ」と呼ぶのは、血族ではない人を血族の範囲に入れるということを意味します。中立的とされる「〜さん」や「〜様」ではなく、このように政治的・家族的な意味を持つ呼称を北朝鮮が使う背景には、集団性と同質性を重視する政治的な考慮があるというのが、イム・チルソン全南大学教授(国語教育学)の分析です。「北朝鮮の呼称・指称の集団的な性格は、主体思想が社会の最も基本的な構成単位としての家族の役割を認めようとしないことを示す。家族ではなく、集団の関係がより一次的な関係として認識するようにしているということだ」(イム・チルソン、「北朝鮮の呼称・指称研究」、2002年)

北朝鮮の対南宣伝用ウェブサイト「わが民族どうしテレビ」のアナウンサーが2013年5月23日、手に持ったタブレット型PCを利用して放送を行っている 聯合ニュース/わが民族どうしテレビ画面キャプチャ

 「個人化」風潮に対する警告

 今回刊行された『文化語学習』は「同志」や「友」を呼び名として使うよう広報しようとする明らかな目的を持っていると思われます。この雑誌に掲載された別の論文「学生が守るべき言語礼節」では、「助け合い、お互い導いてもらう兄弟のように生活しているわが国(北朝鮮)では、学生の間でもお互いに名前や社会的役職の後ろに「友」を付けて呼ぶ方がいい」と勧めています。

 なぜこのような論文がでてきたのか、その意図は比較的明らかになっています。イム教授の指摘通り、北朝鮮は個人や家族よりも集団を重視する社会を追求してきましたが、最近、人民の間では様々な理由から、個人や家族がより重視されているからです。イ・ウヨン北朝鮮大学院大学教授は「北朝鮮でも最近の若い世代は、『同志』『友』のような表現をあまりよく使わない傾向があった。にもかかわらず、あえて再び使うべきだと促しているのは、外来文化に対する防御的なキャンペーンの面があると思われる」と指摘しました。近年、北朝鮮社会については、市場経済の要素の拡散と外来文化の流入、移動通信の普及などの理由で、若者を中心に個人化風潮が強まっていると診断する人が増えています。

 市場経済・外来文化の流入と移動通信の普及

 北朝鮮は最近、住民の「個人化」の風潮について神経を尖らせています。今年の2月6日、朝鮮労働党の機関紙、労働新聞は社説で「家事より国事を大切に思う、愛国献身の精神を高く発揮しなければならない。個人の安逸と利益だけを追求する不健全な思想要素を絶対に芽生えさせてはならない」と主張しました。

 過去、北朝鮮で「君」(使用頻度数286位)「あなた」(450位)のような言葉よりも多く使われた「友」(50位)「同志」(70位)などの呼び名を復活させ、個人化の流れを阻もうとする北朝鮮当局の意図は果たして実を結ぶことができるでしょうか?

キム・ウェヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015-04-06 15:42

https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/685626.html  訳H.J

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