来る16日に安山市の檀園(タンウォン)高校生261人を含む304人の犠牲者を出したセウォル号事故が発生して6か月をむかえる。事故後、国民の誰もが悲しみと怒りの日々を過ごしたが、これまでの半年間に国家が見せた責任感と省察能力は、事故が起きた原因ほどに“後進的”だった。
悪夢のような6か月間に耐えてきた遺族は14日、「国家は免罪符を与えるのに躍起だったし、私たちの疑問に誰一人答えようとしなかった。 今は忘れられるという恐れに苛まされている。 事故前と後では変わると言った約束をどうか忘れないでほしい」(ユ・ギョングン セウォル号家族対策委代弁人)と訴えた。
だが、状況は正反対に流れている。 最近、政府は事故発生6か月を控え、今まで進めてきた真相究明および処罰・問責手続きを早々と終わらせた。検察は6日に捜査結果を発表し、監査院はそれに歩調を合わせたように飛び石連休中の10日に監査結果を発表した。政府の無能な対処で約300人が目の前で犠牲になった惨事に対して、公権力は56人を起訴し50人の懲戒をすることで終わった。その上、これらのうちの大部分は船員や業者役員および下位職の公務員たちだった。法的責任を追及されることになった高位職は、1級公務員の海洋警察庁次長(治安正監)が唯一だ。
法的責任を立証することは難しくても、国家機関の無能に対して責任を問うことができる唯一の通路であった監査院監査も、海上警察の他は国防部と大統領府など主な機関に対する監査に事実上手を引いた。事故直後の大統領府内の報告体系と不十分な対応をめぐる疑惑に対して、まともに調査もせずに“問題なし”と公式のな免罪符を与えた。事故当日、海上警察状況室に「他のことはせずに(報告用)映像をすぐ出せ」と急き立てた大統領府状況室の責任者は、最近所属部署である国防部の人事で“軍人事の花”と呼ばれる“星”を付けて将軍に昇進した。
これだけではない。 政府は“国会次元での政争”を理由に真相究明を放置し、世論の“忘却効果”に依拠して子供たちを死に追い込んだ既成世代の誤りを隠すことを躊躇わなかった。朴槿恵(パク・クネ)大統領はセウォル号事故34日後に発表した対国民談話で、「清海鎮(チョンヘジン)海運が成長する過程における各種特典と民官癒着」を指摘したことがある。 しかし6か月が過ぎた現在、ユ・ビョンオン元セモグループ会長に対する呆れた捜査と死亡の便りだけあっただけで、関連した特典や擁護勢力を一つとして明らかにできていない。 “官ピアのあぶりだし”はスローガンに終わったし、セウォル号を沈没させた根強い民官癒着も“抜本的根絶”どころか輪郭さえ明らかにできなかった。
事故後に“国家大改造”を前面に打ち出した朴統領の人事刷新は、二度の総理候補者落馬に続く“前任総理留任”で色褪せた。「遺族の心残りをなくす」という朴大統領の約束も“疲労感”と“経済再生”を強調する政府と与党のスローガンに押し出され、無かったもののようにされてしまった。 この6か月が遺族たちの心に深い傷を残した理由だ。
その間、セウォル号遺族は自ら孤軍奮闘して真実の糾明に努めてきた。 遺族は最近、検察と海上警察まで冷遇してきたセウォル号事故当日の航跡図と事故時刻などをすべて復元した。 事故関連記録の証拠保全申請を裁判所に出し、海上警察、海洋水産部、民間業者を行き来して作り出した結果だ。 家族対策委と市民団体、一部野党議員の粘り強い真相調査を通じて、今まで見過ごされてきた新しい事実も確認されている。
例えば、民間救助業者を待ち救助の“ゴールデンタイム”を失った海上警察は、当初、海軍の救助人員を投じる計画まで立てておきながら、実行に移さなかったことがわかった。 海上警察が民間と癒着したためなのか、でなければ海上警察と海軍が民間に依存するほかないほど無能だったのか、明らかにさせなくてはならない部分だ。セウォル号事故の原因の一つとされる海上通信網の問題点も、6か月が過ぎた今も相変らず改善されないままそのまま運営されていることが明らかになった。
遺族と野党が要求している「事故当日の大統領府の対処状況」は相変らずベールに包まれている。 完全な真相究明とそれにともなう責任を問うのは終わったのでなく、まだ始まってもいないのである。
韓国語原文入力:2014.10.14 07:40