海洋警察次長、オンディーヌ代表から頼まれて
未完成の“リベロ号”を投入させ
事故の6日後に現場に到着
民間潜水士・海軍救助隊員たち
バージ船がないために水中捜索できず
セウォル号の沈没で乗客が水中に閉じ込められている状況でも、海洋警察は救助より民間救助業者オンディーヌ マリン インダストリー(オンディーヌ)の利益に気を遣っていたことが明らかになった。 そのために本格的な水中捜索作業は6日も遅れることになった。 普段から海洋警察首脳部がオンディーヌと癒着していたためだ。
6日、職権乱用権利行使妨害容疑で不拘束起訴されたチェ・サンファン海洋警察次長とパク・ジョンチョル捜索救助課長、ナ・ホスン災難対備係長は、オンディーヌが救助および船体引き揚げ作業に当たれるよう多様な方法で便宜を提供した。 運航関連安全点検検査や登録手続きも済んでいないオンディーヌの1100トン級バージ船リベロ号を救助現場に投じるよう指示し、そのために規定を無視しろとの海洋警察名義の公文書を送りもした。 平時には海洋事故情報を携帯メールで教えてもいた。 検察は海洋警察とオンディーヌの間の癒着関係が2009年頃から形成されたと明らかにした。
リベロ号が建造されていた慶尚南道固城(コソン)のチョンヘジ造船所から珍島近海までの距離は遠かった。リベロ号は海洋警察が面倒を見たおかげで救助用バージ船に選ばれたが、事故発生から一週間後の4月23日に現場に到着した。 4月16日の事故当日、現場に到着できるバージ船が全羅南道海域一帯に22隻あった点を考慮すれば、オンディーヌに特典を与えるために水中捜索作業の“ゴールデンタイム”を7日も浪費した格好だ。 特に現場から2~3時間の距離にある珍島にもリベロ号と同等の大きさの1000トン級バージ船が7隻ほど待機していた。 直ちに救助に必要なバージ船を投じることができたにもかかわらず、オンディーヌに仕事を回したことになる。
バージ船は水中捜索のベースキャンプの役割を果す。減圧チェンバーと潜水士用のガイドラインなどを設置しており、潜水士が待機できる空間でもある。 セウォル号がほとんど全部水中に没した4月16日午前10時34分以後は、バージ船を通じた水中捜索が唯一の希望だったが、チェ・サンファン海洋警察次長をはじめとする海洋警察首脳部はオンディーヌが建造中のリベロ号を待つことに汲々としていた。
チェ次長はオンディーヌの面倒を見るために、遺族たちに事実を隠してもいたことが調査で分かった。 リベロ号が現場に到着する30時間前の4月22日午前0時40分頃、2200トン級バージ船である現代保寧(ポリョン)号が現場に到着したが、海洋警察は任務を与えずに送り返した。 現代保寧号は潜水士の収容能力が50人でリベロ号(30人)より大きい。 しかし、チェ次長は同日午前6時47分頃、珍島ペンモク港で遺族にブリーフィングを行いバージ船の現代保寧号が到着した事実を隠し、オンディーヌのリベロ号が優秀だという趣旨の説明ばかりを続けた。 救助捜索作業が遅れる間に犠牲者家族たちは“エアポケット”等のかすかな生存可能性だけに期待をかけていた。
オンディーヌの面倒を見るために“いいとこどり”の手法も使われた。 海上事故が起きた際に先に到着した業者が救難作業の優先権を持つ慣行をいう。 チェ次長らはリベロ号が到着するまでオンディーヌの協力業者の359トン級ミニバージ船2003錦湖(クムホ)号を4月19日に事故現場に停泊させた。 だが、錦湖号では規模があまりに小さかった。 検察関係者は「当時のバージ船は規模が小さく、潜水装備を1~2セットしか運用できなかった」として「これが当時潜水捜索がしばしば中断された最大の理由であった」と説明した。
チェ次長など海洋警察関係者たちは、昨年の秋夕(チュソク)から名節の度に自然産松茸、蔚珍(ウルチン)産ズワイガニなどの名節の贈り物を受け取り、オンディーヌ側と親密になったことが検察の調査で明らかになった。 しかし、検察は口座追跡などを行ったが金品授受の疑惑は発見できなかったと明らかにした。 検察が明らかにした海洋警察とオンディーヌとの癒着の実態に比べれば、理解し難い内容だ。 救助失敗の刑事責任を小型警備艇長1人にだけ問うたことと共に検察の捜査が手ぬるいという指摘が出るに十分な内容だ。