尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権が9・19軍事合意を先に破棄した。どうせ破られる合意なのだから、どちらが先に破棄しようと意味はないという主張もある。しかし、南北関係の歴史において、北朝鮮が合意を破ったことは多いが、韓国が先に合意を公に破棄したのは初めてのことだ。国家にも信用があるが、今後、誰が信じるのだろうか。境界は不安定になり、安全保障は危うくなった。
最も重要な問題は韓国と米国の見解の違いだ。米国は尹錫悦政権の軍事冒険主義を積極的には支持していない。米国はウクライナと中東で間接戦争をしている。伝統的に米国は、片方で戦争を行っている間は、新たな戦線の拡大を避けようとする。台湾海峡に続き朝鮮半島で軍事的緊張が高まれば、軍事戦略も複雑になり、国防予算を増やすことも困難で、国内政治的にも抱えきれない。そのため、米国は朝鮮半島情勢を安定的に管理しようとする。
さらに重要な点は、停戦協定に対する見解の違いだ。9・19軍事合意は、積極的には緩衝空間での信頼構築を意味するが、消極的には停戦協定の復活を意味する。停戦協定で合意した非武装地帯は、文字通り戦闘員、警戒所、火力をなくす緩衝空間だ。非武装地帯は対決時代を経て、重武装地帯に転換された。9・19軍事合意において非武装地帯内から監視警戒所を撤去したことは、実際には新たな合意ではなく、停戦協定の復活だった。尹錫悦政権が再び監視警戒所を設置して重武装地帯に切り替えたことは、9・19軍事合意の破棄であり、同時に停戦協定の破棄でもある。
事実上、非武装地帯の管理は韓国軍が担当しているが、法的な権限は米軍中心の国連軍司令部が行使している。国連軍司令部は、自身の存在理由を停戦協定の遵守に置いている。実際には、9・19軍事合意後は停戦協定違反の事例はほぼ消えたが、今後は急速に増えるだろう。停戦協定遵守をめぐる韓米両国の意見の相違が発生する可能性が高い。
緩衝空間が消えれば、偶発的衝突の可能性は高くなる。50年以上続いてきたホットラインが不通という状況で衝突が起きたら、戦争への拡大を止めることができるのだろうか。いったい何のための犠牲なのか。兵力資源の不足という現実と科学技術の発展をもとに、これまで推進してきた科学的な警戒はどうなるのか。軍事国家北朝鮮を相手に戦争も辞さないと叫ぶ無謀さは理解しがたい。
境界の緊張は高まった。最前線は非武装地帯と西海(ソヘ)にだけ存在するのではない。大和堆の漁場のように遠く離れた空間も最前線だ。近海の魚類資源が不足している状況のもと、東海岸の多くの漁船が、石油価格と船員の人件費を考慮し、大和堆に行って攻撃的な漁業活動を行っている。韓国と北朝鮮に加え日本とロシアまで経済水域が重なるそうした場所で、韓国の漁船が北朝鮮によって拿捕されることもあった。漁民の安全を保障する手段はあるのか。
境界地域での生活も暗くなった。平和な時は境界という事実を忘れて生きていけるが、軍事的な緊張が高まれば変わる。特に仁川(インチョン)と京畿道は大都市が境界に隣接している。緊張が高まれば、すぐに観光客は来なくなり、財産の価値も低下する。境界地域ではまさに「平和が経済」だ。安全保障とは、国民の生命と財産を守るという意味だ。政府の最も重要な義務を忘れてはならない。
9・19軍事合意の破棄は、尹錫悦政権が予告していた理念だった。国内政治的な目的もあるだろう。しかし、過去の「北風」がどうして一度の例外もなく失敗し、むしろ逆風が吹いたのかを知らなくてはならない。国民の暮らしとはかけ離れた理念だったためだ。大韓民国の国民は不安でなく安全を望み、無能な政府でなく有能な政府を望んでいる。さらに、党派の利益のために国家を混乱に陥れる不純な意図を容認しないからだ。
停戦協定を結んで70年目となる年だ。あまりに長い年月が経過したが、今もなお非武装地帯では兵士たちの遺骨を収集できずにいる。傷を治癒しなければならない時代の使命を忘却し、なぜ新たな悲劇を作ろうとするのか。
これまでは戦争の近くまで進んでも、自制力を発揮して峠を何度も越えてきたが、今回は違う。世界秩序が変わり、韓国と北朝鮮の武装の水準は変わった。朝鮮半島情勢はよりいっそう悪化することになり、合理的な人たちでさえ、安全保障イデオロギーに巻きこまれやすい時期だ。明らかな点は、安全保障を強化するほど安全保障が危険になる「安全保障のジレンマ」の悪循環から抜け出してこそ、解決方法を見いだせるということだ。平和を守る能力がなければ安全保障は不安定になり、平和を作る意志がなければ戦争の危険から逃れることは難しい。常識を持つ人たちの連帯で共倒れを止める時だ。
キム・ヨンチョル|元統一部長官・仁済大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )