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[寄稿]強制動員解決策、誤った認識と選択が招いた「惨事」

登録:2023-03-13 02:50 修正:2023-03-14 08:56
強制動員解決策、どうみるか(2) 
ナム・ギジョン|ソウル大学日本研究所教授
ソウル大学日本研究所のナム・ギジョン教授//ハンギョレ新聞社

 6日に韓国政府が発表した「最高裁判決に関する解決策」には、最高裁(大法院)判決がない。この日提示された政府の解決策の内容は、植民地支配の不法性を前提として被害者に「慰謝料」を支払うことを命じた最高裁判決を無力化するものだ。惨事だ。日本政府が「韓国の司法府が犯した国際法違反状態は韓国政府が自ら解決せよ」と強要したフレームにすっかりはまっている。したがって対日交渉の内容もない。尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領自らが問題の解決策として提示した「グランドバーゲン」にさえなり得ていない内容だ。だからこれは外交惨事ですらなく、単なる惨事だ。

 なぜこうなってしまったのか。誤った認識と選択のせいだ。尹錫悦大統領は、韓日関係悪化のすべての責任は文在寅(ムン・ジェイン)前政権にあるとの認識を示してきた。輸出規制措置で韓国人の経済的生存権を脅かした日本の安倍晋三政権の責任については一言もなかった。「竹槍歌」ばかり歌っていて日本にやられたという認識だった。つじつまが合わない。

 輸出規制措置が最高裁判決のせいだというのか。それはひとまず日本政府自らが否定する論理だ。最高裁判決が誤っているというのか。最高裁判決は、韓国憲法の精神と1965年の韓日基本条約に対する韓国政府の立場にもとづいて下された当然の法理的判断だった。それもすでに李明博(イ・ミョンバク)政権時代の2012年に下された判断を確定したに過ぎない。司法壟断が断罪されたことで、当然の結論が当然にも下されたのだ。司法壟断の主役であるヤン・スンテ元最高裁長官を拘束したのは、当時のソウル中央地検長として、そして第3次長検事として捜査を指揮した尹大統領とハン・ドンフン法務部長官だ。現政権与党の前身である自由韓国党は最高裁の判決を歓迎し、植民地支配の不法性が確認されたと述べつつ、日本の態度変化を期待すると表明している。最高裁判決は党派を問わず、大韓民国の国家アイデンティティーの発露だった。どこが誤っていたというのか。

 韓国の誤ったがゆえに韓日関係を台無しにしたという認識は、今年の三一節記念演説でそのまま表現された。事実関係が合わないうえ、非常に政略的だ。文在寅政権が反日感情によって韓日関係を台無しにしたのではなく、尹錫悦政権が「反祖国感情」に乗って韓日関係をひっくり返してしまったのだ。政治を対日外交に利用しているのは誰か。

 尹錫悦政権は前政権で推進された朝鮮半島平和プロセスも失敗と規定し、それに代えて韓米日安保協力の強化を選択した。日米同盟の下位同盟として編入される韓米同盟の現実の中で、韓国政府の地位と交渉力は弱まった。朝鮮半島平和プロセスに介入しようとしていた日本が韓国政府に国際法違反のレッテルを貼り、現状変更勢力へと転落させてしまった。米国を日本に対するテコにしようという計算が尹政権にはあったのかも知れないが、米国の圧力はむしろ韓国へと向かった。

 誤った認識の下で対日交渉カードをすべて捨て去り、誤った選択によって米国というテコが逆に作用したことで、3月6日の惨事は予見されていた。

 兆しはあった。昨年9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた日、それに参加したハン・ドクス首相の記者懇談会での発言は不吉だった。彼は「国際法的に見れば一般的に理解しがたいことが起きたのは事実」だとして、日本側の認識をそのまま受け入れた。その日の国葬では、菅前首相は伊藤博文の死を思う山県有朋の悲痛な心情になぞらえて追悼の辞を読み上げた。山県は主権線・利益線の概念で構成される日本の地政学を創案し、伊藤は安重根(アン・ジュングン)義士に狙撃されるまでそれを実行に移した当事者だ。国際法は、彼らが韓国を手なずけるための有効な手段だった。そして、その侵略的行動を国際法で覆い隠した。

 山県と伊藤の認識は戦後日本の朝鮮半島認識に綿々と受け継がれる。「平和憲法」を重視し、戦後日本の基礎を築いたと評価される吉田茂は、最も尊敬する政治家として伊藤博文をあげ、清やロシアなどの大陸勢力から日本の安全を守るために朝鮮半島を掌握しようとした彼の見識を称賛した。吉田にとって朝鮮戦争は天祐(てんゆう)であり、朝鮮半島の現状を維持するために韓日国交正常化を背後から支援した。

 尹錫悦大統領は前回の大統領選挙中の討論で「有事の際に(自衛隊が)入ってくることもありうる」のではないかと発言した。有事の際には自衛隊が朝鮮半島にやって来るのを防ぐことはできず、そのために韓米日軍事同盟も検討しうるという発言だった。そこまで発言する候補は今までいなかった。そして彼が大統領になった。三一節の記念演説では日本の植民地支配を免責し、協力パートナーになったと述べた。保守か進歩かを問わず、このような大統領は今までいなかった。ニューライトのあがめる李承晩(イ・スンマン)大統領でさえ、1951年1月に中国共産軍の大々的な攻撃で押されている中、米国が日本軍の国連軍への編入の可能性を検討した際、日本軍が参戦するなら韓国軍はまず日本軍を撃退してから共産軍と戦うだろうと述べている。

 今、日本では明治初期を彷彿とさせる勢いで地政学が流行している。明治地政学によって侵略戦争に打って出た日本では、敗戦後は長くタブー視されていた単語だ。ついには「極東1905年体制」論が登場している。日露戦争の結果、朝鮮半島と台湾が日本と共に力で維持される一つの陣営にまとめられて東アジア勢力均衡体制を形成し、日本の敗北によって流動化していたこの体制は、朝鮮戦争以降に米国を中心として再編され今に至っている、というものだ。この論によれば「極東1905年体制」は過去の歴史ではなく、日米同盟と韓米同盟が事実上一つの制度として作動している実体だ。そこにおいては、日本が朝鮮半島を植民地とした事実は「やむを得ないこと」として処理される。最高裁判決に関する韓国政府の解決策が登場した後には、朝鮮半島有事の際の指揮統制機関の再編が公然と論じられている。現在の韓米連合司令部体制では日本が関与する余地はないとし、有事の際に日本が甘受するリスクを考慮して、計画立案の場に日本が関わる余地を設けるというものだ。

 過去にこだわっていないで振り払い未来へと向かって行こうという言葉を、聞き流すことができない状況だ。危ない。気をつけなければならない。

ナム・ギジョン|ソウル大学日本研究所教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/1083236.html韓国語原文入力:2023-03-12 17:49
訳D.K

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