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[寄稿]植民地支配の被害者の人権踏みにじる「1965年体制」を民主化しよう

登録:2023-03-11 08:32 修正:2023-03-13 09:14
強制動員解決法、どうみるか(1) 
吉澤文寿|新潟国際情報大学教授
吉澤文寿 新潟国際情報大学教授=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 2018年10月30日および同年11月29日に下された一連の大法院(韓国最高裁)判決は、韓国人強制動員被害者と日本企業との紛争を解決するものである。判決は日本政府による不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した反人道的な不法行為として、日本企業が朝鮮人を強制労働させたことを認め、原告が訴えてきた慰謝料請求権を認めた。被告である日本企業はこの事実を重く受け止めなければならない。

 日本の中国侵略およびアジア太平洋戦争遂行のために、多くの朝鮮人が強制動員の被害者になった事実は、日本の法廷でも認定されている。しかしながら、被害者の慰謝料請求権を認定し、日本企業に賠償を命じたのは、今回の判決が初めてである。被害者は被害を受けてから70年以上かけて、ようやくこの判決を勝ち取った。この画期的な判決に被害者とその支援者は国境を越えて歓びを分かち合った。

 韓国人被害者と日本の民間企業との紛争は、大法院判決の通りに解決するのが最善である。原告側の説明によれば、現在までに日本企業の財産差し押さえは着実に進行しており、早ければ1年以内に債権が回収できる見通しだという。日本企業からの謝罪は必要不可欠だが、このまま誰からも妨害されることなく、差押財産の現金化まで一直線に進行することがもっとも望ましい。

 ところが、この判決が出た直後に、日本政府は「あり得ない判決」であり、「国際法違反」であると論難して、即座に介入した。その主張の核心は、この判決が1965年に締結された日韓請求権協定に違反するというものである。今回の大法院判決は、日本政府が植民地支配の不法性を認めていないため、強制動員慰謝料請求権が協定の適用対象に含まれないとしている。これに対して、日本の外務省は、協定第2条1および3の条文を示して、被害者の慰謝料請求権が「完全かつ最終的に」解決されたと主張する。しかし、日本政府は大法院判決の協定解釈を反証するための十分な論拠をまったく公表していない。

 大法院が日本政府と異なる条約の解釈をしていると指摘するのであれば、その問題を日韓間で協議するというのが本筋である。だが、日本政府は今回の判決を「日韓関係の法的基盤を覆すのみならず、戦後の国際秩序への重大な挑戦」であると一方的に決めつけ、協定第3条に即した対応を独断的に進めたのである。日本政府は韓国政府に対して極めて高圧的な態度をとり、相手側からの提案を一蹴するとともに、ひたすら「国際法違反」の状態の是正を求めた。

 つまり、民間の紛争の非当事者である日本政府はこれを暴力的に外交問題にすり替えて、エスカレートさせてきた。民間の紛争を国家間の紛争にすり替えたのは日本政府である。日本ではこのすり替えの是非が何ら問われないまま、政府ばかりでなく、マスコミもこぞって「韓国(人)は法を守らない」という偏見ばかりを広めている。韓国人は野蛮であるというあからさまな蔑視から、「韓国では法よりも正義を優先する」というもっともらしい「学識」までさまざまだが、いずれも偏見である。

 なぜ2018年の大法院判決が出されたのか、その歴史的背景が十分に理解されないまま、いつの間にか韓国政府がいかに対応すべきかというところに焦点が定まってしまった。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府が示した「賠償肩代わり案」なるものは、2015年12月の日本軍「慰安婦」をめぐる日韓合意と同様に、朝鮮民主主義人民共和国に対抗するために日韓関係を修復するという安保優先の論理で人権問題を債権問題にすり替えて「解決」しようとするものである。大法院判決は加害者である日本企業に対して、被害者の要求に向き合う真摯な姿勢を求めた。しかしながら、「賠償肩代わり案」に日本企業が協力する可能性がないのだから、韓国政府の不当な介入により、日本企業は被害者への謝罪および賠償支払いの履行を免れるだろう。

こうして被害者および支援者が長年苦労を重ねてようやくつかみ取った今回の判決は、日韓の国家権力によって反故にされようとしている。この国家権力の振る舞いを暴力といわずして何と言うべきだろうか。

 1965年の日韓国交正常化によって成立した「1965年体制」は、米国のアジア冷戦戦略に沿って、日韓両国が共産主義に対抗するために実現した。それは南北分断体制を強化するとともに、日本の朝鮮植民地支配責任を不問に付すものであった。

それゆえに、「1965年体制」は植民地主義体制である。軍事政権期に被害者たちが日本の責任を問うことは利敵行為と見なされ取締の対象とされた。民主化以後、強制動員をめぐる訴訟の結果、韓国人被害者と日本企業との間で和解が成立したこともある。しかしながら、日本政府は植民地支配に対する「道義的責任」を認めるにとどまっており、その不法性や加害事実を認定したことはない。

 日韓両国は民主主義を掲げる国家である。しかしながら、手続き的民主化以後の民主主義という課題は、「8.15」(日本の敗戦)以後の日本でも、「6.29」(韓国の民主化)以後の韓国でも抱えている。「1965年体制」が植民地主義体制である根本的な原因は、日韓両国が未だに民主主義社会を実現していないところにある。「1965年体制」は植民地支配の被害者を抑圧し、疎外し続けていることで維持されている。このことは、民間の紛争にさえ暴力的に介入した日韓両国の政府の言動から改めて明らかになった。

 植民地支配の問題は、民主主義の問題である。現在の日韓関係が植民地支配の被害者の人権を抑圧し続けるなら、それを民主的と呼ぶことはできない。むしろ不当な暴力を野放しにするなら、「野蛮」の誹りを免れまい。植民地支配責任を問わないままの「未来志向」に未来はない。この野蛮な日韓関係こそ「戦後最悪」と呼ぶべきである。私たちにとって、「1965年体制」の民主化は喫緊の課題である。

吉澤文寿|新潟国際情報大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1082987.html韓国語記事入力:2023-03-10 09:31

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