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[寄稿]許可されていない「行政の外注」

登録:2022-01-22 01:22 修正:2022-01-22 07:52
アン・ヒギョン|在米ジャーナリスト

 2021年12月27日、ソウル江南(カンナム)のあるカフェで、私は予防接種履歴管理アプリ「クーブ(COOV)」を立ち上げた。米国でのワクチン接種記録を保健所に登録してあるため、もう誰でも見ることのできる手書き名簿に記録を残さなくてもいいとの安堵から、私はスキャナーに携帯電話を通した。結果は「スキャン不可」! 店主はネイバーやカカオのQRコードを見せるよう私に催促した。私は大勢が使ったボールペンを手に取り、何十もの電話番号の下に自分の電話番号を記した。そしてその日の夜、5年以上眠っていたネイバーのアカウントを起こした。ネイバーアプリを3番目の画面に押し込むという差別をし、これ以上は新たに作る想像力さえ枯渇した14桁のパスワードもダイアリーにメモした。

 ネイバーとカカオは、いったい誰の許しを得て、いつ、どのようにして国家機関になったのか。

 携帯電話を変更するたびに、私は電話会社の民営化がもたらす不安を振り払えなかった。果たして私は、雇用不安に苛まれながら私の前に座っている職員に全幅の信頼を置いていいのか。多くのお年寄りが何かにつけて薬局に立ち寄るように携帯電話売場を訪れる。個人情報に暗証番号まで渡し、そこの職員をかつての電話局の公務員のように頼っているが、これで大丈夫なのだろうか…。善意に委ねられた情報通信国家だ。

 50代半ばの2人の友人は、パク・スグン展を見るために立ち寄った徳寿宮(トクスグン)国立現代美術館で門前払いを喰らった。現場での購入も可能だとの展示案内サイトの謳い文句とは異なり、現場ではインターネットでの購入だけを認めていた。2000ウォン(約191円)の入場料を支払うために、その2人はスマートフォンの画面に顔を寄せ、独り言なのかサイトに書いてある文章に対する答えなのか、ブツブツつぶやきながら指を動かした。だが、とうとう諦めて故宮を散歩することにした。ヒーヒー言いながら機械に服従しようとしているのに何度も失敗する悔しさを、それ以上あじわいたくなかったのだろう。

 悔しさは年を取るにつれて無力感に変わり、ともすると「うつ」に陥ることもある。60歳の知人は、80歳の老母の世話をするためにソウルで部屋を探している。その母親は、わずか5年前までは夫の病院の手続きや治療日程を一人で管理していたが、今は診療室の敷居さえまたげない。スマートフォンで行われる検査前の手続きが、今や歩いたり認知したりするだけでは生きられない世の中であることを知らしめた。子に依存するようになったという思いから、重いうつになった。

 84歳の私の母も、サムスンカードを解約するために、カードを作ることを強く勧めた大手スーパーにバスに乗って出かけたが、カード会社の事務所は消えており、インターネットでキャンセルしろとばかり言われた。その虚無のせいだろうか。母は、30年近く通った交差点がどこかの知らない場所のように見えて、しばらくぼうっとしていたと告白した。歩いて、あるいはせいぜいコミュニティーバスに乗って用事を済ませていた世は消えつつある。

 韓国だけではない。米国のボストン市役所前にある公共駐車場は、利用料を払うためにはアプリをインストールしなければならない。仮に利用料がわずか1ドル40セントであっても、個人情報だけでなくスマートフォンに保存されている連絡先や写真にまでアクセスできるよう、全てを提供しなければならないのだ。そのうえ、高齢者は運転できたとしても自動化のハードルに引っかかり、市内には気軽に出にくい時代になった。

 コロナ禍の中で加速した自動化の波だ。では、この波を起こしている動力は「防疫」という公共の利益だろうか。「ち・が・う」。スタッカートで答えたい。人件費とコストを削減し利潤を増やそうとしている、非常に具体的で集団的な勢力こそ、動力の正体だ。

 2019年夏、一群の女性労働者たちがソウルの有料道路の料金所の上に立った。彼女たちは1500人にのぼる集団解雇を撤回させるために抵抗した。2022年冬、さらに増えたハイパス(有料道路の自動料金徴収システム。日本のETCに相当)を通過する多くの人々は、誰が闘いの主体なのか知ることすらできない「デジタル資本主義」という旋風の中にいる。第4次産業の中の成長が叫ばれてはいるが、現実は非常に具体的な不平等として襲ってくる。これは消費者の権利と公共サービスを略奪する破壊であり、反復記号のように労働市場の破壊へと傾いてゆく。「許可されていない行政の外注」であり、企業の利潤のために国民のうつに努めて知らないふりをする政府のサボタージュでもある。

 社会学者のエミール・デュルケームは「社会的な規範と価値が崩壊する時、人々は自殺を決意する」という理論を発表した。信じ、頼っていた規範が崩壊し、自らの価値が墜落する時、生の意志はくじかれざるを得ない。金に換算してようやく動き出す時代だから、政府にはせめて、うつが強いる明日のコストくらいは計算してほしいと願う。

//ハンギョレ新聞社

アン・ヒギョン|在米ジャーナリスト (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1028231.html韓国語原文入力:2022-01-20 21:59
訳D.K

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