今も国を憂いて心を痛め、ソウルの光化門(クァンファムン)前を守っている「救国の名将」李舜臣(イ・スンシン)には誠に申し訳ない話だが、私は彼にたった一つだけ不満がある。正座して乱中日記を読んだが、酒を飲んで吐瀉霍乱したという「あまりにも人間的な」話が多すぎるからではない。まるで私が彼と酒でも飲んだかのように私の心も痛んだという話をしようというのでもない。あの有名な一節「生きようとすれば死ぬだろうし、死のうとすれば生きるだろう(生即死死即生)」のせいだ。
陥れられて苦難を強いられた後に再び三道水軍統制使となり、崖っぷちの戦闘へと向かう途中、彼は民の悲惨な境遇に胸を痛め、これに我関せずと逃げることばかりを考える軍に憤慨した。「臣にはまだ12隻の船が残っております」と王には言ったものの、数百隻の敵軍を前にして部下たちは戦うつもりはなかった。ゆえに彼は兵士に叫ぶ。「生きようとすれば死ぬだろうし、死のうとすれば生きるだろう」という呉子の兵法の一節を引用したのだ。逃亡すれば死をもって報いるという意味だった。あまり役には立たなかった。翌日、敵軍の侵入の知らせを受けて出陣してみると、「諸将は両軍の数を数え、誰もが逃げることばかりを考えていた」。彼が先頭に立って戦い、脅し、なだめすかしてようやく、朝鮮の水軍は結集した。鳴梁海戦の始まりはこのように紆余曲折があったのだが、その最後は歴史に輝く勝利だったわけで、彼が咆哮した「死ぬ覚悟」だけが歴史に深く刻まれたのだった。
それからというもの、我々は何をするにも「死ぬ覚悟」をする。自分はせずとも人は「死ぬ覚悟」をしろとけしかける。戦争中はそうだったとしても、銃刀を握らぬ日常でも「死即生」なのである。
ある元大統領は、世界的な金融危機に直面した際に長官を呼んで、李舜臣のようにこう言った。「国に最後に奉仕するという姿勢で危機克服に臨んでほしい…。『生即死、死即生』の覚悟が必要な時だ」。こうして悲壮な覚悟で臨んだ経済戦争の成果がどのようなものだったのかは相変らず論争の的だが、「死ぬ覚悟」で働いたお偉方は安泰だった。ただ、奉仕ではなく彼ら自身の実利を得ることに忙しかった。経済危機の中で「死即生」を求めた大統領は350億ウォン(約34億1000万円)を超える金を横領した。昔もそうだった。戦争中でも「避難民の牛を2頭盗んで食うために、嘘で倭寇が来た」と言った人もいた。「生即死」を叫んだ李舜臣は彼らを「さらし首にした」という。「死ぬ覚悟」の厳正さは消え、今では歳月に脚色された言葉だけが残っている。
それ以来「死ぬ覚悟」はあふれた。ある地方自治体の選挙に出馬した候補は、その地域の「経済のために死ぬ覚悟」と宣言し、他の自治体の候補は早朝4時に「名もない労働者」を乗せて走る6411番バスに乗って「庶民の生活のために死力を尽くす」と言った。また、ある党の代表の立候補者は「死ぬ覚悟で勝つ」と述べた。ある聴聞会で候補者は「死ぬ覚悟で働く」と厳粛に誓い、ある現職市長は「死力を尽くして貧富の格差を解消」すると公言した。ある人々は、「死に至るとも」自らが支持する大統領を守ると言って拳を握る。
「死ぬ覚悟」は政治的言辞にとどまらない。社会的に知られる人々が自分の真心を信じさせるために常に使用している。有名な芸能人たちは「死ぬ覚悟で」やせると言うほどだ。15年前だったか、ある歌手兼画家は、著書を出版した際にそれを「殴られて死ぬ覚悟で書いた親日宣言」と紹介した。幸いその人が殴られたという話は聞かない。
誰彼なく「死ぬ覚悟」をするから、今や社会は「死ぬ覚悟」を勧める。だから韓国代表は常に「死力」を尽くして駆けずり回らねばならない。のそのそとフィールドを駆けるのを許されているのはライオンくらいであり、太極マークを胸につけた瞬間、ライオンに捕らえられないように必死に走り回る鹿にならなければならない。韓国代表ではなく「太極戦士」だからだ。だから、国を代表する産業銀行の代表は、困難に陥ったある企業に「死ぬ覚悟で臨め」と怒鳴りつける。
「死ぬ覚悟」は職場において最もドラマチックに用いられる。「死ぬ覚悟」で勉強しろという言葉を「死ぬほど」聞いて、ようやくそこそこの仕事に就いた後も、先のことが心配になって自己啓発本を読んでみると、一様に書いてある。「30歳は死ぬ覚悟で働け」、職場に「骨を埋める覚悟」で働けというのだから、論理的に考えれば「死ぬ覚悟」優先ではある。だから、何にせよちゃんと働くというのは、死ぬほど働くということだ。日本の有名な居酒屋の創業者はさらに一歩進んで「24時間365日死ぬまで働け」と言った。そのせいで労働者が過労死すると、長く批判を受けた末に責任を認めた。自らの「経営理念」のせいでこうした不幸が起きたと述べたのだが、人々は「死ぬまで働くこと」が経営理念でありうるということに、その時ようやく気づいた。他人事ではない。
「死ぬ覚悟」はレトリックや言葉遊びではない。潜在的に全身の気運をすべて奪うほど、魂まで引き出して、ようやくまともに働いたことになるという意味だ。またそれだけ「自己責任」の空間が増える。「死力」から遠ざかるほど、人の境遇はますます苦しくなるというのだ。いま働いているのに不幸なのは、あなたのおだやかな呼吸とすべすべした額のせいだ。すべからく「働く人」は精も根も尽き果てるまで徹夜で働き、職場の危険も喜んで受け入れねばならない。このように職場の「死即生」は、長時間労働と労働災害を完全に働く者の宿命として内在化させる。
だから「死ぬ覚悟」は非対称的だ。死ぬ覚悟をしたりそれを勧めたりする人のうち実際に死んだ人はまれで、その覚悟の「圧力」の中で選択の余地なく黙々と「生きようと」する人は死ぬのだ。「死ぬ覚悟」で働けと言われ「死ぬほど」働けば、声をあげるのも大変なので声もあげずに死ぬのだ。
21世紀に最先端の技術と経営で輝き、株式市場を熱狂させたある企業は、労働者が「死ぬ覚悟」で働くようにシステムを構築した。そして死者が出た。話を聞いただけでわくわくする「プラットフォーム」には安全装置がなかった。物流センターが火災を起こし、20世紀のやり方で消防官が体を張って火を消す。そして消防官が死んだ。その日、この輝かしい企業の代表は、責任を取るのではなく、責任を免れるために辞任した。「死即生」の華々しい復帰だ。その瞬間、息子イ・ソンホを亡くした父は「息子の名前を大韓民国に刻みつけるために…。路上で死ぬ覚悟で最後まで闘う」と語った。
鳴梁海戦で真っ青な刀身を現した「死即生」は今日、真っ赤な欲望と厚かましい無責任さを隠す盾となった。私はなす術もなく忠武公李舜臣に不平を言う。
イ・サンホン|国際労働機関(ILO)雇用政策局長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )