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[コラム]漢江の医大生と平沢港のバイト生、2人の大学生の死

登録:2021-05-12 02:05 修正:2021-05-12 08:21
イ・ジェフン|社会政策チーム長
6日午後、京畿道平沢市安仲邑の安仲白病院の斎場に故イ・ソンホさんの祭壇が設けられている=平沢/イ・ジョンア記者//ハンギョレ新聞社

 記者になって真っ先に学んだのは、死を対象化することだった。毎日警察署で数多くの死に出会ったが、私にそれらの死を惜しむ暇はなかった。その代わり、誰が死んだのか、どのように死んだのか、なぜ死んだのかを調べ、死者の社会的名望度によって記事の価値を迅速に検討しなければならなかった。この職業の人への対し方とはこの程度のものだったのかと嘆きつつ杯を傾ける時、同僚たちは「すべての死を同じように報道することはできないじゃないか」という言葉で慰めてくれた。ニュース報道は最終的に選択されるのはやむを得ないというのだった。

 同年代の二人の大学生の死が、異なる位相で世の中を揺るがしている。一人はソウル盤浦(パンポ)の漢江公園で行方不明になり、5日後に死んでいるのが発見された22歳の大学生ソン・ジョンミンさんだ。もう一人は京畿道の平沢(ピョンテク)港で下請け人材会社に所属し、学費を稼ぐためにアルバイトをしていたところ、重さ300キロの開放型コンテナの扉の下敷きとなって死亡した23歳の大学生イ・ソンホさんだ。多くの人が指摘しているように、二人の死に対する世の中の態度はまったく異なる。ソンさんの死には多くの市民が哀悼の意を表し、迷宮入りした死の経緯を自ら捜査するかのように追跡している。イさんの死は、亡くなって15日がたってようやく世に知られることとなったが、その後も死に対する哀悼が普遍的に広がっているわけではない。このため、医大生と下請け労働者という二人の大学生の階級格差が社会的反応の大きさの違いを生んでいるのではないか、とも指摘される。一方、ソンさんの死にはイさんの死のように社会構造的な問題は介入していないが、死に至った過程が世の同情を買いうるものだったためより多くの関心が集まったわけで、それ以上でも以下でもないという反論もあった。

 人は等しく生まれ、平等に死へと向かう時間の上にいるが、個々の死に対する社会的視線は平等ではない。それはサムスン電子のイ・ゴンヒ前会長一家の「税金」に対する世の中の態度を見ても確認できる。13年前の「サムスン裏金事件」の際に約束した寄付をようやく果たし、当然納めるべき相続税を納めただけなのにもかかわらず、世間はただただ寄付と税金の規模に圧倒され、賛辞をあふれされた。イ・ゴンヒの死に対する世の中の態度と二人の大学生の死に対する世の中の態度は、メディアが語るニュースの価値と同じくらい選択的だった。そして、そうした選択を煽り、世の中は結局のところ平等ではないという事実を公然と再確認させたのは、これらの死を差別的に騒々しく世の中へと送り出したメディアだった。

 にもかかわらず、私は依然として、誰の死も重みが違うはずはないと思う。世の中が平等ではない視線で死を見つめているせいで、結局のところメディアは選択的にこれを媒介しなければならないのなら、死亡した二人の大学生の階級格差そのものではなく、二人の大学生の死亡過程において彼らの持つ階級格差がどのような影響を及ぼしたのかを判断して、問題提起の層を決めなければならないはずだ。本紙が今月6日から数日にわたって、イさんが死に至った詳細な過程と、死を招いたコンテナ管理の不備、イさんのような境遇にある日雇い中心の港湾労働者が直面する危険な労働環境、という構造的な問題を前面に掲げて報じたのもそのためだ。

 先月、雇用労働部が公開した統計によると、昨年、労働災害事故によって死亡した労働者は882人。1日に2.4人が労災事故で亡くなっていることになる。このうち、イさんのような18~29歳の青年層は42人。30~39歳は64人、40~49歳は137人、50~59歳は292人だ。何よりも60歳以上は347人で39.3%にもなる。そして、移住労働者が多数を占めると推定される外国人の労災事故死亡者は94人(10.7%)に達する。改めて、メディアが結局は選択的にこの事実を送り出さなければならないのなら、次に注目すべき死は60歳以上の高齢層、そして移住労働者たちの労災かも知れない。それが、すでに不平等な世の中を見つめている私たちが持たなければならない最小限の倫理であろう。

//ハンギョレ新聞社

イ・ジェフン|社会政策チーム長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/994753.html韓国語原文入力:2021-05-11 17:54
訳D.K

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