誰かに「昨年最も印象に残った一言は何か」と聞かれたら、私は国会本庁前に設置された正義党の座り込み現場で12月24日午前に発せられた言葉を挙げたい。「重大災害企業処罰法(重大災害法)」の制定を求めてその場でハンスト中の故キム・ヨンギュンさんの母キム・ミスクさんのもとを訪ねた共に民主党のキム・テニョン院内代表は、「重大災害法の制定に野党の『国民の力』が協力してくれなくて問題だ」と言った。するとキム・ミスクさんは「今まで(民主党が望んだ法案は)与党がすべて可決してきたではないか」と言い、「多くの法を可決させてきたのに、なぜこの法だけは野党の協力が必要なのか」と問うた。
その瞬間、言葉を失って戸惑うキム院内代表の様子をテレビで見ながら、私は多くのことを考えた。私は、共に民主党が他の法案を力で押し切ったことに対しては批判的だが、重大災害法については異なる考えを持っている。私はこの法律がそんなふうに可決されていたら支持していただろう。なぜそのように一貫性がないのかと問いただされたなら、私はこう答えたい。「毎日7人が仕事で死んでいくのをただ傍観していただけの私たちは、みんなおかしい!」 労働災害による死は、かなりの部分が「社会的他殺」だからだ。
にもかかわらず、今月8日に国会本会議を通過した重大災害法は、原案から大幅に後退した「ざる法」になってしまった。すでに民主党に対しての多くの激しい批判があふれているため、私があえて批判を加えたくはない。私が疑問に思うのは、民主党もそのような批判は予想していたはずなのに、なぜこうなったのかということだ。実力がないとか原則のない妥協を行ったからそうなったとかの診断も出ているが、このような問いを投げかけてみてはどうか。支持率が急落するほど大きな政治的打撃を受けることになっても、このようにしていただろうかと。
もちろん大きな政治的打撃はなかった。それなら、ちょっと違う考え方をしてみることも必要だろう。労働災害の問題は「経路依存性のわな」にはまっていると私は思う。経路依存性(path dependency)とは、一度経路が決定されると、経路利用の惰性と経路を中心として形成された既存のシステムの慣性のため、経路を変えることが非常に困難になる現象を指す。そのような経路は私たちの意識にも形成されるものであるため、私たちすべての省察を要求する。
振り返ってみると、私たちが誇らしく思っている超高速圧縮成長は、人権を重視したものではなかった。50年前の京釜高速道路の開通は「民族史的金字塔」などという賛辞を受けたものの、建設中に死者が77人も出ている。1977年に史上初の輸出額100億ドルを達成したことも大々的な祝賀の対象となったが、その裏にはチョン・テイル烈士のような数多くの労働者の犠牲があった。私たちはそれこそ「戦争のような生活」を送ることで先進国の入り口にまで至っているが、社会的弱者を犠牲にした開発独裁の習俗は、私たち全員の意識に深く刻まれた経路となってしまった。私たちがこのかん誇りを感じてきたK-防疫が、事実上社会的弱者に目を背けてきたのも、まさにそのような意識の経路のせいだろう。
「中断のない前進」を叫んで生きてきた私たちにとって「安全優先」は贅沢なことにすら思われ、そうした心性は企業競争力の源泉ともなった。こうして「危険を冒す文化」を土台として形成された企業システムと慣行は、大きな変化なく今日まで続いてきた。短期間でこれを変えることは容易ではない。強力な処罰は解決策にはなりえないという主張には、一抹の真理はある。問題は、企業がこうしたシステムと体質を変えるための努力を普段からどれだけ行ってきたのか、政府・政界・メディアなどは普段からどれほど関心を示してきたのかということだ。答えは非常に否定的だ。私たちは、足元に火がついてようやく動き出す者たちではないか。
経済界・財界の人々に聞きたい。毎日7人の死、このままでよいのか。なぜこれまで沈黙ばかりしてきたのに、労働者の怒りの爆発が重大災害法制定へとつながる瞬間になってようやく立ち上がるのか。これまで企業の社会的責任を放棄してきた自業自得ではないか。政府と政界が介入する前に、共生に向けた合理的な問題解決に自ら進んで取り組む自由意志は全くないのか。労働災害を専門に担う常設の第三者協議機関の設置を提案し、政府と社会の協力を積極的に求めていれば、企業に対する尊重と信頼も高まるのに、なぜロビーと圧力中心の防御にばかり没頭するのか。経済は本当に重要だ。政治が泥沼にはまっても国がどうにかこうにか動いているのは経済のおかげだろう。すべての経済人の皆さんに心から感謝する。しかし、「人を殺す経済」はこれ以上許されない。立場を変えて考えてみてほしい。
カン・ジュンマン|全北大学新聞放送学科教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )