チョン・テイル烈士の50周忌だ。1970年11月13日、22歳の裁断労働者が、労働基準法の冊子を胸に抱き、「労働基準法を順守せよ」「我々は機械ではない」と叫び、散って行った。それから半世紀が過ぎた。彼の犠牲は、良心的な若者や知識人たちにすら関心の外だった残酷な労働者の人権の実態に鉄槌を下したかのようだった。その後、炎のように巻き起こった韓国労働運動の号砲となった。彼がいなかったら、労働者の現実も大きく改善されることはなかっただろう。
まっすぐに立つこともできない屋根裏部屋で日差しを見ることもできずにプルパン(小さな今川焼のような食べ物)で食事を済ませ、一日16時間ミシンを回しては倒れ込んでいた10代の下層労働者たちは、今や70歳を目前にしている。その間、労働者の人権は、ゆっくりとではあるものの前進した。法定労働時間は週40時間が基本となり、仕事と家庭の両立は重要な価値として定着している。労働基準に対する監督も、当時と比れば厳しくなった。国際労働機関(ILO)最重要条約の全条項批准も遠くはない。
しかし、50年前を記憶する年老いた労働者の目に映る今日の労働者の現実は、見慣れないながらも見慣れた光景だ。韓国は依然として毎年2000人以上の労働者が仕事のせいで死んでいる、経済協力開発機構(OECD)1位の労働災害国だ。新型コロナの流行により、非対面のプラットフォーム産業は肥え太ったが、非対面と非対面の隙間を埋める労働者は宅配の荷物を運んでは倒れ、ついにはそのまま息を引き取ったり、仮眠を取るつもりが永遠に目を開くことができなくなったりしている。世間は彼らを「必須労働者」と呼ぶが、彼らの生存に欠かせない賃金と休息の提供は無視している。
50年前に「産業の担い手」と呼ばれた労働者たちは、今や「社長」と呼ばれる。実状は労働者としても認められていないことを意味する。産業の担い手は労働基準法を「順守」せよと叫んで闘ったが、社長は労働基準法を「適用」せよと訴えて闘っている。規制が緩和された外注化や急変する技術などにより、労働者という名の頭には下請、特殊雇用、プラットフォームのような数多くの修辞がついた。修辞が増えるほど「本物の社長」の姿は「名ばかり社長」の後ろに隠れ、人工知能(AI)の不当な「業務指示」に対して配達労働者は抗議する場所さえない。死角地帯は恐ろしい勢いで拡大し、労災もここに集中している。
文在寅(ムン・ジェイン)大統領は12日、チョン・テイル烈士に対して労働界の関係者としては初の「ムグンファ勲章」を追敍した。しかし、労働者の権利と安全を強化する実質的な措置があってこそ、勲章も輝きを放つことができる。この日打ち出した宅配労働者過労死対策は強制力のない勧告規定が大半だ。重大災害企業処罰法の制定を無視し続けてきたくせに、「国民の力」までが制定の意志を示したことで、あたふたと追いかける姿勢を示していることも残念だ。圧倒的に“傾いた運動場”を立て直すための大きな見取り図と意志を示すべきだ。
「労働者の両極化」は今日の労働問題の核の一つだ。大企業中心の従来の労働界が、この問題に積極的に対応してきたとはみられない。「チョン・テイル精神」は、自分のバス代をはたいて幼い下層労働者たちに食事させたエピソードを除いては、完全には語れない。50年前に彼が言った「私」と「数多くの私」の連帯が、再び切実となっている。