セウォル号惨事の犠牲者、キム・シヨンさん(当時18歳)の母親、ユン・ギョンヒさん(43)は先月6日、大統領府のサランチェ前に駐車してあった大型バスに乗り込んだ。側面に「4・16真実バス」という文字と共に大きな黄色いリボンが描かれたバスだった。4・16セウォル号惨事家族協議会(家族協議会)が市民団体と共に国会に提出した国民同意請願を市民に知らせるためだった。
家族協議会が提出した国民同意請願は、「社会的惨事真相究明および安全な社会建設等のための特別法」(社惨委法)の改正と、セウォル号惨事関連の大統領記録物の公開決議の2件だ。今年12月11日に社会的惨事特別調査委員会(社惨委)の活動期間が終わるが、船が沈没した原因と犠牲者へのずさんな救助活動の問題は依然として明らかになっていない。社惨委は捜査権がないため強制調査をすることができず、救助の不備を確認できる大統領の記録物を見ることもできなかった。国民同意請願は1カ月以内に10万人が同意すれば、国会の所管常任委で審査しなければならない。
ユンさんの乗った「4・16真実バス」は大統領府のサランチェをスタート地点とし、光州(クァンジュ)や釜山(プサン)、原州(ウォンジュ)など全国27都市を21日間休まず走った。計3100キロメートルに上る長い道のりだった。先月29日にハンギョレのインタビューに応じたユンさんは、全国で会った市民がセウォル号真相調査が「順調に進んでいる」と誤解していたと振り返った。京畿道平沢市(ピョンテクシ)で会ったある市民は、ユンさんが乗った真実バスを歓迎しながらも、セウォル号遺族がここに来る理由がわからず、首を傾げたという。真相調査が進んでいないというユンさんの説明を聞いた後、「真相調査がうまくいっていると思っていた。申し訳ない」と涙を流したという。
午前6時から夜9時まで宣伝活動と懇談会が続き、夜遅く車を走らせて次の都市に移動する毎日だった。他の惨事の被害遺族との「連帯」がなかったら、つらい日程に耐えられなかったかもしれないと、ユンさんは語った。大田(テジョン)での現場実習中、職場での嫌がらせに耐え切れず、自ら命を絶ったキム・ドンジュン君の母親から慰めと激励を受けた。済州道(チェジュド)では労働災害で死亡したイ・ミンホ君の父親が一緒にプラカードを持ってくれた。
済州道(チェジュド)では労働災害で死亡したイ・ミンホ君の父親が一緒にプラカードを持ってくれた。光州で5・18犠牲者遺族に会い、済州道では4・3犠牲者遺族懇談会も行った。ユンさんは「遺族が真実バスの日程を知り、現場に駆けつけてくれた。それが大きな力になった」と述べた。
街で会った市民は、家族協議会が用意したテントに「安全な社会を望むことが無理な要求なのか」、「足踏み状態の真相究明、遺族の苦しみが伝わって胸が痛む」などのメッセージを書き込んだ。
ユンさんの切実な願いと連帯の力は実を結んだ。今月31日午後、家族協議会が国会に提出した国民請願2件は計10万人の同意を得た。真相究明を続ける第一歩を踏み出したのだ。それを聞いて、ユンさんは万歳を叫んだという。ユンさんはハンギョレに、「真相究明が行われ、責任者が処罰されても、子どもたちが戻ってくるわけではないが、同じことが繰り返されない安全な国を作るためには必ず真相究明が必要だ」とし、「多くの国民がセウォル号惨事の真相究明を望んでいることをもう一度感じ、賛同してくださったことに感謝する」と述べた。