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北朝鮮に何度も手を差しだす岸田首相…「日本人拉致」解決、あきらめず

登録:2023-11-01 07:04 修正:2023-11-01 08:48
繰り返し「日朝高官級協議」に意欲を示す日本
日本の岸田文雄首相は5月27日、「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」に出席し、「首脳会談を早期に実現するために、私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい」と述べた=日本首相官邸提供//ハンギョレ新聞社

 韓国が長い秋夕(中秋節)の連休に入っていた9月末、日本では韓国も強い関心を持たざるをえない非常に興味深い報道が出てきた。朝日新聞が29日付の1面トップ記事で、北朝鮮と日本が今春、東南アジアで2回の秘密接触をしたというスクープを放ったのだ。

 同紙は、複数の日朝関係筋の話を引用し、日本政府当局者が3月と5月の2回、東南アジアのある都市で北朝鮮朝鮮労働党の関係者と「秘密接触」したと報じた。それより驚くべきことは、次の点だった。岸田文雄首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長と首脳会談に向けた環境整備を進められるとみて、今秋にも平壌(ピョンヤン)に政府高官を派遣することを一時検討していたが実現しなかったという事情を明らかにしたのだ。この報道が大きな波紋を呼ぶと、松野博一官房長官はその日の定例記者会見で「報道は承知しているが、事柄の性質上、答えは差し控える」と述べた。報道を否定せず「答えは差し控える」という反応を示したことから、記事内容が事実であることを認めた格好になった。

 日朝間で水面下で何か意味のある動きが続いていると思われる兆しがあらわれたのは、5月末のことだった。岸田首相は5月27日、拉致被害者の遺族が集まった「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」に出席し、これまで言及したことなかった特異な発言をした。

 「私自身、我が国自身が主体的に動き、トップ同士の関係を構築していくことが極めて重要であると考えている。(中略)日朝間の懸案を解決し、両者が共に新しい時代を切り開いていくという観点からの私の決意を、あらゆる機会を逃さず金正恩委員長に伝え続けるとともに、首脳会談を早期に実現すべく、私直轄のハイレベルで協議を行っていきたいと考えている」

北朝鮮の金正日国防委員長と日本の小泉純一郎首相が2002年9月17日、平壌宣言に合意した後、握手を交わしている=日本写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 拉致問題の解決を掲げて首相の地位に就いた安倍晋三元首相(1954~2022)も、2019年から「拉致問題」解決のために北朝鮮と直接対話したいという意向を繰り返し表明していた。その年の2月末、朝米首脳会談が失敗すると、「金正恩委員長と向き合わなければいけないと決意している」と述べ、その2カ月ほど後の5月6日には「金正恩委員長と条件をつけずに向き合わなければならないと考えている」と強調した。しかし、岸田首相はそれに加え、「私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい」という異例の話を追加した。日本の首相が拉致被害者の家族の前で日朝接触についてこうした「具体的」な言及をしたため、日朝間で何か意味のある接触が行われていることは明らかだった。

 岸田首相がこうした決意を明らかにした最大の理由は、被害者遺族が高齢化し、この問題を解決する時間が少なくなっているためだとみられる。中学1年生の時の1977年に新潟県から消えた後、日本人「拉致問題」の象徴的存在になった横田めぐみさん(1964年生まれ)の父親で「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の前代表だった横田滋さん(1932~2020)は2020年、その後に会長職を受け継いだ飯塚繁雄さん(1938~2021、拉致被害者の田口八重子さんの長兄)も翌年亡くなった。夫の滋さんとともに娘の無念を晴らすために東奔西走してきた早紀江さん(87)まで亡くなることになれば、この問題は未解決の状態で終わることになりかねないという焦りが、岸田首相を動かしたのだ。

 日朝関係の専門家たちは北朝鮮の反応に注目し始めた。岸田首相の発言からわずか2日後の29日、北朝鮮外務省のパク・サンギル次官が朝鮮中央通信を通じて次のような談話を出すことになる。

 「日本は『前提条件のない首脳会談』について語っているが、実際においてはすでにすべて解決済みの拉致問題とわが国の自衛権について、何らかの問題解決をうんぬんし、朝日関係改善の前提条件として持ち出している。(中略)もし、他の代案と歴史を変えてみる勇断がなく前政権の方式で実現不可能な欲望を解決しようと試みるのなら、それは誤算であり、無駄な時間の浪費になる。(日本が)相手をありのままに認める大局的姿勢で新しい決断を下し、関係改善の活路を模索しようとするなら、朝日両国が会えない理由はないというのが、共和国政府の立場だ」

 日本と対話の可能性を残しておきながらも、前任の安倍首相の時のように「すべて解決済みの拉致問題」と「わが国の自衛権」(非核化)を国交正常化の条件として持ちだすのであれば、会っても意味はないと言い返したのだ。実際、北朝鮮は2002年9月、小泉純一郎首相(当時)の平壌訪問の際、金正日(キム・ジョンイル)国防委員長が公式謝罪して生存被害者5人を帰国させ、拉致問題を「すでに解決した」という立場を維持している。これについて日本政府は、「(1)拉致問題は日本の最重要課題である(2)拉致問題の解決なしには国交正常化はない(3)拉致被害者が全員生存していることを前提に、全員帰還のために努力する」といういわゆる「安倍3原則」を前面に出して対抗している。北朝鮮が死亡したと明らかにした人たちは実際には生きている可能性が高いので、帰してほしいという主張だ。両国は2014年5月のストックホルム合意などを通じて拉致問題解決のために努力してきたが、こうした根本的な立場の違いのため、2016年初頭以降、政府間の公式対話の扉は完全に閉じられた状態だ。

 ならば、北朝鮮と日本は、昨年春の接触を通じて意味のある成果を得たのだろうか。一連の報道によると、日朝の少数の代表者は2回会い、両国間の様々な懸案について広範囲に意見を交した。日本政府は、北朝鮮から来た朝鮮労働党の関係者たちが北朝鮮の内部事情に精通していることから、金委員長に近い党の核心幹部に繋がる人物だと判断した。また、「北朝鮮が日本との対話に意欲的」だという印象を受けた。この話が事実であれば、北朝鮮は2019年2月末のハノイ決裂によって朝米対話が中断され、2022年5月の尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権発足後、南北関係も同様に破綻した状況にあり、日本を通じて新たな外交的な突破口を探ろうとしたという話になる。だが、拉致問題に対する根本的な意見の違いによって、成果なく物別れに終わったとみられる。

 日朝間で起きたこの「小さな失敗」は、韓国人が気づかないうちに朝鮮半島情勢に少なからぬ影響を与えた。北朝鮮は、日本との接触を通じて得られるものはほとんどないと判断し、少なくとも「7月以後」は、ロシアとの関係を改善する方向に傾いたとみられるためだ。北朝鮮は7月27日、「戦勝節」の式典にロシアのセルゲイ・ショイグ国防相が参加したことをきっかけに、先月13日、4年ぶりの朝ロ首脳会談に臨んだ。

「ストックホルム合意」を導いた北朝鮮のソン・イルホ朝日国交正常化担当大使(左)と日本外務省の伊原純一アジア大洋州局長(右)が2014年7月1日、中国の北京駐在北朝鮮大使館で面会し握手している=北京/ロイター・聯合ニュース

 現時点では、日朝間で本格対話が始まる可能性は非常に低いが、日本国内の雰囲気が少しずつ変わっているという兆しもある。2013年5月に北朝鮮を訪問して拉致問題に関する談判をした飯島勲内閣官房参与は、月刊誌「文藝春秋」10月号に当時の「会談記録」を公開し、日朝関係を切り開いていかなければならないという強い意見を述べた。飯島氏は拉致問題について知っている人物が次々と亡くなっている現実を嘆き、「今こそ日本社会全体が日朝交渉のあり方を変えなければならない」と訴えた。

 岸田首相も同様に北朝鮮との対話をあきらめない姿勢を示した。23日、秋の臨時国会の冒頭の所信表明演説で「北朝鮮との諸問題を解決するためにも、金正恩委員長との首脳会談を実現すべく、私直轄のハイレベルでの協議を進めていく」と再び強調した。さらに、「地域の平和と安定にも大きく寄与する、日朝間の実りある関係を築いていくため、私は大局観に基づく判断をしていく」と付け加えた。

キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1114272.html韓国語原文入力:2023-10-31 08:13
訳M.S

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