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[コラム] 「日本パッシング」は不可能だ

登録:2022-10-18 05:55 修正:2022-10-18 07:31
尹錫悦大統領と岸田文雄首相が先月21日(現地時間)、米ニューヨーク・マンハッタンの国連総会会場近くのコンファレンスビルで、午後12時23分から約30分間にわたり会話を交わした/聯合ニュース

 野党「共に民主党」のイ・ジェミョン代表が最近立て続けに行っている対日強硬発言を批判するコラムを書くつもりだったが、思いとどまった。もちろん、韓日あるいは韓米日3国安全保障協力や対日関係に関し、彼が吐き出した「親日国防」などの極端な言葉に同意しているためではない。

 以前の「桂・タフト協定(韓国では密約と呼ばれる)」発言まで含め、急変する国際情勢とはかなりかけ離れているようなイ代表の「現実認識」は危うく感じられるが、大韓民国の半分ほどの人々はイ代表の日本批判に共感し、うなずくかもしれないと考えを改めた。地獄のような植民地支配と突然やってきた解放、骨肉相食む戦争、そして過酷な分断につながった現代史の苦しみに耐え続けた韓国の人々が、偏見なく韓日軍事協力を受け入れることは容易ではない。

 ならば、なぜ日本と協力しなければならないのか。冷戦解体の流れが明らかになった1980年代以降の東アジア情勢の変化を見れば、その必要性を痛感せざるを得ない。1990年9月、韓ソ国交正常化により東アジアに冷戦解体の風が吹き始めたことで、北朝鮮は体制崩壊の脅威を感じていた。キム・ヨンナム北朝鮮外交部長(当時)は、韓国との国交正常化を通告しに来たソ連のエドアルド・シェワルナゼ外相に、「我々はこれまで同盟関係に依拠していた一部の兵器も自主的に用意する対策を立てざるを得なくなる」と述べた。韓ソ国交正常化が実現すれば、生存のために「独自の核開発」を進めるという脅しだった。北朝鮮の核問題が東アジアの国際関係を揺るがす懸案として浮上した瞬間だった。

 しかし、北朝鮮が直ちに「核開発」という崖に向かって突き進んだわけではなかった。東京大学の和田春樹名誉教授は、先月発行した本『日朝交渉30年史』で、国難の危機に追い込まれた北朝鮮の前には「二つのオプション」があったと語る。一つは核開発を通じた対決の道、もう一つは米国・日本との国交正常化を通じた開放の道だった。韓国が中ソと国交を樹立するなら、北朝鮮も米国・日本と国交を樹立し、その効果を相殺すれば良いという、いわゆる「交差承認論」だ。

 このアイデアを日本はどのように受け入れたのだろうか。韓国に虎視眈々と旭日旗を立てようと狙っており、北朝鮮を封鎖して崩壊させようとする人々だから、必死に反対しただろうか。 決してそうではない。北方外交は冷戦解体の流れを読み取った盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の業績だが、その基礎を固めたのは「屠殺者」全斗煥(チョン・ドゥファン)だった。全氏は1983年1月、日本の首相としては初めて韓国を訪問した中曽根康弘氏に、韓国が中国・ソ連と、北朝鮮が米国・日本と国交を結ぶ交差承認が合理的だと説明した。

 その言葉に共感したのか、中曽根氏は同年11月、胡耀邦中国共産党総書記に「中国と韓国が友好的関係を結ぶことを望んでいる」という意向を伝え、1985年5月に行われた米日首脳会談ではロナルド・レーガン米大統領に「朝鮮半島に平和をもたらすためには、交差承認が必要だ」と述べた。外交には素人だったレーガン氏はしばらく停会を要請し、ジョージ・シュルツ国務長官と話を交わした。そして、「あなたの提案を受け入れる」(!)と答えた。

 実際、北朝鮮と日本は1990年11月から国交正常化のための予備交渉を始めた。12回の会談が行われたが、最初は1960年代の韓日がそうだったように、過去の植民地支配をどのようにとらえるかをめぐる歴史認識問題で、後には核と日本人拉致問題が原因で、成果を出せなかった。北朝鮮核問題が浮上する前の1990年代初めに朝日国交正常化が実現していたら、東アジアの歴史は全く違う方向に進んだだろう。日本は1980年代には朝鮮半島における冷戦緩和の「協力者」だったが、交渉が始まってからは曖昧な立場に変わり、2002年9月に拉致問題が公式化されてからは露骨な「妨害者」になった。

 2019年2月末、ハノイでの朝米首脳会談が物別れに終わってから、北朝鮮の核を巡る殺伐とした対峙局面は長期化せざるを得ない状況に至った。ジョー・バイデン大統領の北朝鮮政策は「同盟(韓日)と調整されたアプローチを取る」ということだ。それに加えて米中戦略競争が激しくなり、インド太平洋地域で日本の戦略的重要性が高まっている。「日本パッシング」は絶対に不可能だ。朝鮮半島の究極的平和を実現するために、日本を再び「協力者」の役割に戻さなければならない。安定した韓日関係を構築し、北朝鮮を放置することが決して日本にとっても得策ではないことを粘り強く説得し続けなければならない。

//ハンギョレ新聞社
キル・ユンヒョン|国際部長(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1063063.html韓国語原文入:2022-10-1719:04
訳H.J

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