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伽耶の王族たちは「ローマングラスの器」をどこで買い求めたのか=韓国

登録:2023-06-06 20:38 修正:2023-06-07 10:32
韓国国内16番目の世界遺産登録を控えた「伽耶古墳群」に行ってみると
慶尚南道陜川の玉田古墳群から出土したローマングラス=キム・ギュヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 穏やかな稜線上に大小の昔の墓がこぶのように集まって盛り上がっていた。墓を取り囲むトゥルレキル(遊歩道)には、散歩を楽しむ市民たちが見えた。稜線の上に立つと、高霊(コリョン)の市街地が一望できた。今月1日に訪れた慶尚北道高霊郡の芝山洞古墳群の姿だった。古代伽耶連盟が残した芝山洞古墳群は、9月にユネスコ世界文化遺産への登録を控えている。

 伽耶古墳群が世界遺産に登録されれば、韓国では石窟庵・仏国寺、海印寺大蔵経板殿などに続き16番目の世界遺産となる。ハンギョレがこの日、伽耶古墳群世界遺産登録推進団と共に訪れた伽耶古墳群は、高霊の芝山洞古墳群のほかに、慶尚南道陜川(ハプチョン)の玉田古墳群、全羅北道南原(ナムウォン)の酉谷里・斗洛里古墳群だった。ユネスコ遺産登録を控えた「伽耶古墳群」(Gaya Tumuli)は、この3カ所を含め慶尚南道金海市(キメ)の大成洞古墳群、慶尚南道咸安(ハマン)の末伊山古墳群、慶尚南道昌寧(チャンニョン)の校洞・松ヒョン洞古墳群(ヒョンは山に見)、慶尚南道固城(コソン)の松鶴洞古墳群までの7カ所だ。

慶尚北道高霊の芝山洞古墳群の様子=慶尚北道提供//ハンギョレ新聞社

 高霊の芝山洞古墳群は、7つの古墳群の中で最も規模が大きい。5~6世紀の伽耶王族の墳丘704基が集まっている。主山の頂上部のすぐ下にある44号墳は、高さ6メートル、直径25メートルにのぼる大型墳丘だ。韓国で初めて発見された殉葬墓(死者と近かった人や動物を共に埋葬すること)でもある。墓の中央には王の席である「ウトゥムトルバン(第一石室)」が長方形に作られ、南側と西側に「タルリントルバン(付属石室)」2基がある。これを囲むように丸く32基の殉葬木槨があり、10代から60代まで多様な年齢の民40人余りが殉葬されたという。伽耶連盟の最盛期を導いた大伽耶の地位を推し量ることができるというのが専門家たちの説明だった。

「伽耶古墳群」に含まれる7つの古墳群の現状(左上から時計回りに、高霊の芝山洞古墳群、昌寧の校洞・松ヒョン洞古墳群、金海の大成洞古墳群、咸安の末伊山古墳群、固城の松鶴洞古墳群、陜川の玉田古墳群、南原の酉谷里・斗洛里古墳群)=文化財庁提供//ハンギョレ新聞社

 古墳群の下の大伽耶王陵展示館では、44号古墳群内部をそのまま展示し、発掘された遺物などを直接見ることができた。芝山洞古墳群から車で30分余り離れた慶尚南道陜川の玉田古墳群も高い丘陵の上に墳丘が集まっていたが、丘陵の頂上部には4世紀頃の木槨墓が、西側には5世紀頃の石槨墓が見えた。玉の畑を意味する「玉田」という名前のとおり、ここでは玉のネックレス、金製イヤリングなど華麗な装身具が多く発見されたという。透明ガラス器「ローマングラス」も1点出たが、西域との交流を通じて流入したものと推定される。

 7つの古墳群の中で最も西側にある南原の酉谷里・斗洛里古墳群では発掘作業が真っ最中だった。当初、ここは百済支配層の墓であると考えられていたという。実際、百済式遺物と伽耶式遺物が混ざって出てきた。32号墳から出た青銅鏡は百済武寧王陵から出たものと似ており、百済と交流して影響を受けたものと専門家たちは推定している。

全羅北道南原の酉谷里・斗洛里古墳群は今も発掘作業が真っ最中だ=キム・ギュヒョン記者//ハンギョレ新聞社

 伽耶古墳群世界遺産登録推進団のイ・ギュホン研究員は「伽耶式石槨墓は細長い長方形という共通点があるが、主槨と副槨を並べて置いたり斜めに置くなど構成方式が全て異なる。対等な水準の威勢品と交易品が発見され、伽耶に属する各政治体が自律的で水平的な関係を形成していたことを示している」と説明した。そして「高句麗・百済・新羅三国の遺跡はすべて世界遺産に登録されている。伽耶古墳群の世界遺産登録により、古代史の最後のパズルを完成させることができることになる」と語った。

キム・ギュヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/yeongnam/1094745.html韓国語原文入力:2023-06-06 16:31
訳J.S

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