言動に現れたムン・チャングク国務総理候補者の問題点は指折りして数えられないほどある。すでに指摘した通り日帝強制占領(訳注・日本植民支配)を正当化する植民史観や済州4・3事件を共産主義者の暴動と話す極端な反共主義は、総理になる人物の考え方としては黙認できない非常識の限りだ。問題はこれだけですまない。彼が講演で見せているキリスト教の唯一主義の態度も国民の健全な良識からかなり外れている。国政の代表的責任者が原理主義的な宗教の偏向に陥っていては、国民統合をなすどころか国を分裂に導く心配ばかりが高まる。
ムン候補者の発言を映像で見ると、このような心配が単純な杞憂とはいい難い。彼は日帝36年の支配も、南北分断も‘神の意志’と話した。6・25戦争(訳注・朝鮮戦争)もアメリカを味方にするために‘神様が与えてくれたもの’と話した。統一も、南北交渉のようなものは必要なく‘神様の差配’で成り立つと話した。"我が国の近代史と現代史を見るなら神様の目でしか韓国を理解することはできない" とも話した。キリスト教の原理主義が身についていなければ、このように何かにつけて‘神の意志’を持ち出してくるはずはない。
ムン候補者は論議を呼んでいる発言が "宗教家として教会内でしたもの" と‘解明’した。彼が講演をした場所は数百人の信者が集まったソウルの大教会だ。事実上公共の場所だ。教会内だと言ってそのまま通る話ではない。しかもプロテスタントの信者ばかりが集まった席でした発言なので大丈夫というなら、韓国のプロテスタント信者は歴史も知らずに正義も分からない‘未開な国民’だと言っているようなものではないか。そのような発言こそプロテスタント信者を侮辱するものだ。
ムン候補者は講演でユン・チホを擁護した。しかし日帝強制占領期間にユン・チホのような極端な親日派プロテスタント信者しかいなかったわけではない。むしろ当時のプロテスタントの主流は、島山 安昌浩(アン・チャンホ)、圭巖 金躍淵(キム・ヤギョン)両氏のように日帝に抵抗して民族教育と独立運動に献身した人々だった。彼らに学ばずユン・チホのような親日派を先覚者として敬うことこそ一部の保守新教の悲劇だ。このような背景で信仰心が篤いほど、歴史と民族を裏切ることになる。
ムン候補者のように極端な宗教偏向に凝り固まった人物が総理になれば、それでなくても心配されている宗教のあつれきが更に高まるのは火を見るより明らかだ。仏教界と儒教界がムン候補者の辞退を促したのはこのような極端な宗教偏向のためであるところが大きいと言える。現政府が最小限の国民統合の意思でもあるならば、ムン候補者を人事聴聞会に出席させてはならない。