原文入力:2011/09/14 10:21(1497字)
キム・グァンス記者
金属労組幹部など4人、15m高空で79日目
"労働運動を共にしたキム・ジンスク氏を守る"
秋夕(チュソク)祭祀も籠城場で
←(左から)パク・ソンホ、パク・ヨンジェ、シン・ドンスン、チョン・ホンヒョン氏。
"秋夕に先祖様の墓参りもできず面目ありません。" 韓進重工業整理解雇者パク・ソンホ(49)、パク・ヨンジェ(53)、シン・ドンスン(51)氏と全国金属労働組合釜山梁山本部組織部長チョン・ホンヒョン(48)氏は秋夕の去る12日、空中で祭祀を行った。パク・ソンホ氏は13日<ハンギョレ>との通話で「キム・ジンスク(51)全国民主労働組合総連盟釜山本部指導委員が250余日目の籠城をしている韓進重工業釜山影島造船所内の船舶クレーン中間で解雇者家族が船舶クレーン下方に用意した祭壇を見ながら礼をした」と話した。
パク氏らは6月27日、裁判所の執行官が外注警備員を動員し籠城中の整理解雇者らに対する強制解散に出て、「キム指導委員を保護する」としてキム指導委員が籠城中の高さ(35m)の中間(15m)まで上がった。当時クレーンに上がった人は30人余りだが、79日目の現在はパク氏ら4人だけが残っている。
彼らがキム指導委員を守る‘鷲’を自任して上がったのは過去三度のつらい記憶のためだ。1991年パク・チャンス労組委員長の遺体が京畿道、安養病院で発見されたのに続き、2003年にはキム・ジュイク労組委員長とクァク・ジェギュ組合員が13日の間隔をおいて自ら命を絶ったことを見守ったこれらの人々はキム指導委員が1月6日 船舶クレーンに上がったという話を聞いた後で夜も眠れなかった。
キム指導委員との縁は彼らを長期籠城に耐えさせる力だ。 パク・ヨンジェ氏は1986年韓進重工業の前身である大韓造船公社で労働運動をし、キム指導委員に続いて解雇された後、釜山の労働団体で共に活動した。2006年20年ぶりに復職したパク氏は「18人の解雇者の中でキム指導委員だけがついに復職できなかった」として「当時の申し訳ない気持ちを少しでも返したい」と話した。
パク・ソンホ氏も1991年解雇された後、1996~98年民主労総釜山本部でキム指導委員と共に仕事をした。2003年12月に復職したが2月に整理解雇者名簿に再び含まれた。
釜山大運動圏出身のチョン氏は1989年労働運動に初めて足を踏み入れた時、キム指導委員に会ったという。チョン氏は「当時、キム指導委員が釜山労働者連合議長を、私は組織部長を担当した」として「子供たちの顔をとても見たいがキム指導委員が降りてくるまで降りて行かない」と話した。
シン氏は4人の中で唯一キム指導委員と個人的縁はないが「再びキム・ジュイク烈士のような不祥事があってはならない」として、先月15日からハンストまで続けてきている。
キム指導委員は「四人組が下にいて心強いが、風雨と熱い太陽の光の下で苦労されているのを上から見る度に心がとても痛む」と話した。
一方、韓進重工業労使は秋夕前妥結のために去る6~7日に交渉を行ったが、希望退職を拒否する整理解雇者94人を6ヶ月後に復職させようという労組と24ヶ月後に復職させようという会社の意見が対抗し決裂した。
釜山/キム・グァンス記者 kskim@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/495960.html 訳J.S