原文入力:2011/07/20 21:38(1603字)
釜山(プサン)発“労働現実に対する抵抗”が全国に広がることを・・・
キム・ソヨン記者
“希望のバス”に感謝・責任感じて始める
組合員200人余りもリレー参加
「大衆と共に大きな闘い作りたい」
全国民主労働組合総連盟キム・ヨンフン(43・写真)委員長のハンストが20日で8日目をむかえた。 気温が30度以上になる猛暑の中、ソウル徳寿宮(トクスグン)大漢門(テハンムン)前のテントでハンストをしている彼の顔には疲れた表情が歴然としていた。
キム委員長がハンストに入ったのは“希望のバス”を支持するためだ。 韓進重工業整理解雇に始まった市民の“希望のバス”が労働問題を越えて不安な社会の現実に対する“抵抗アイコン”として浮び上がる中で、感謝の気持ちと責任感を感じたと言う。 彼は「釜山で煮えたぎっている抵抗の熱気を全国に広げたい」と語った。 委員長がハンストを始めるとすぐに組合員200人余りもリレーハンストに参加した。
総連盟代表が真夏に路上でハンストをしなければならないほど、韓国の労働現実は劣悪だ。 キム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員は韓進重工業整理解雇撤回を要求して高いクレーン上の高空籠城196日目を迎え、夜間労働撤廃を主張した柳成(ユソン)企業の労働者達は会社の職場閉鎖により仕事場に帰れなくなって63日目である。教師と公務員は政治後援金問題で大量処罰を受ける可能性が高まっているうえに、現代自動車の社内下請けや才能教育をはじめとする長期闘争事業場では、これまでのどの時期よりも困難な夏を過ごしている。
キム委員長は「組合員が苦労しているのに比べれば、食を断つのは何でもないことだ」と言い、「やれることは何でもやるつもりだ」と言った。
キム・ジンスク委員はキム・ヨンフン委員長にとっても格別な人だ。 去る1994年、“御用労組”として有名だった鉄道労組で機関士たちが非常に困難な中で全面ストライキを行った時、キム・ジンスク委員は駆け付けてきて組合員を相手に教育をしてくれた。 彼は学生運動を経て当時鉄道公社の機関士だったが、その時からのつきあいだからもう17年になる。 「キム委員は今後やらなければならないことがたくさんある人だ」「必ず元気に私たちのところに降りてこなければいけない」と強調した彼は、韓進重工業の整理解雇問題が解決されるまでハンストを続けるつもりだ。
労働運動は徐々に萎縮しており、政府と企業は労組の力を弱化させるために攻勢の手を緩めない。 労働運動の総責任を負っている代表として、どんな思いであろうか? キム委員長は長いため息をつき「イ・ミョンバク政府になって労働運動が難しくなったというけれども、実際のところこの政権で“決定打”を食らっただけであって、それ以前から労働運動は反転の機会をつかむことができずにいた」という反省を述べた。 政府は複数労組の交渉窓口単一化とタイム オフ制(労組専従者の労働時間免除制度)により、組織された労働者の力を弱化させ、弾力的勤労時間制の拡大と整理解雇要件緩和などで労組員らを圧迫している。
こういう緊迫した状況に対抗して、40代初めの“若い指導者”として期待されているキム委員長は、「“口先だけのストライキ”ではなく、真実性をもって大衆と呼吸をともにすることにより、来年末までの任期中に大きな闘いの場を作りたい」として「希望のバスと大漢門テントが市民との出会いの場になることを願う」と語った。
文キム・ソヨン記者 dandy@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/labor/488259.html 訳A.K