「俺、病気でひどく苦しんだだろ。病気で苦しんでいる人たちのために大切に使ってほしい。姉さん、分かるだろ? 分かるだろ? それと、頻繁に訪ねてきてくれよ」
「うん、心配しないで」
忠清北道の清州(チョンジュ)に住むユン・ヒョンジャさん(66)は昨年11月17日午後7時ごろ、清州医療院の病室で弟のユン・インスさん(56)と交わした最後の言葉が忘れられない。インスさんが最後に絞り出した願いは「寄付」だった。
インスさんは一生かけてためた5億461万291円(約5400万円)の財産の寄付を望んでいた。ヒョンジャさんと姉のテスンさん(76)、テスクさん(71)、兄のホンスさん(63)とドンスさん(60)の5人きょうだいは、先に亡くなった末の弟の遺志に従い、19日に忠北大学病院に全額を寄付した。ヒョンジャさんは「忠北大学病院とは強い縁はありませんが、弟の願いでした。天国へ行こうとしていた弟の言葉が、今も耳に残っています。少し頑固で優しい弟だったんですけど、とても会いたいです」と言って言葉を詰まらせた。
インスさんは、父親のユン・ミョンヨンさん(2003年没)と母親のイ・オクスンさん(2013年没)さんとの間に末っ子として生まれた。小学校を卒業後、家庭の事情や適性などのせいで進学できなかった。その後、自動車整備工場で仕事を覚えたインスさんは、10年あまり後、清州市龍岩洞(ヨンアムドン)にカーセンターを設立した。
ヒョンジャさんは「あの時は母が、若い弟が稼いだお金を一銭も使わずにためていて、そのお金でカーセンターを設立しました。弟はとても真面目で仕事もできるのに、ある日、自動車整備が電子式に変わったことで仕事をやめざるを得なくなって」と語った。その後、インスさんは建設業を営む兄の勧めで塗装の仕事に転職したため、生活に大きな支障はなかった。
しかし2024年4月に突如、胃がんステージ4との診断を受けた。医療危機のせいで病室の確保も容易ではなかったが、ソウルと清州を行き来しながら20回以上も入退院を繰り返しつつ、抗がん治療に取り組み闘病。インスさんは清州医療院で最後の闘いを繰り広げたが、入院190日目の昨年11月18日午前、愛する兄弟姉妹と別れ、天に旅立った。ヒョンジャさんは「弟と最後の20カ月を共にしました。あんなにけがれなく優しい人はいません。弟にとても会いたいです」と語った。
インスさんは5億ウォン以上の貯金があったが、闘病直前まで賃貸のワンルームで一人暮らしをしていた。ヒョンジャさんは「ぜいたくはせずとも結婚もして、子も作って、少し余裕のある生活もできたはずなのに、弟は自分のものは少しも残さなかった。190日間の入院治療だけが弟のしたぜい沢でした。だからこそ胸が痛む」と語った。
忠北大学病院は、寄付金を医療サービスの向上などのための発展基金として使う予定だ。