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「トルコ軍」が育てた朝鮮戦争孤児、「今度は私が助ける番」100万円寄付

登録:2023-02-10 06:20 修正:2023-02-10 07:28
「アンカラ学院」出身のオ・スオプさん、100万円寄付 
朝鮮戦争当時、トルコ軍が戦争孤児を保護するために建てた施設 
「今度は私たちがトルコを助けなければならない時」
韓国戦争当時、トルコ軍が韓国に建てたアンカラ学校/聯合ニュース

 「私がトルコ軍将兵たちにいただいたものを少しでも恩返しできればと思います」

 アンカラ兄弟会のオ・スオプ会長(78)は9日午後、本紙の取材に対し、淡々とした口調でトルコに1000万ウォン(約100万円)を寄付することを決めた理由を述べた。朝鮮戦争当時、戦争孤児だったオ会長は、トルコ軍将兵たちのおかげで成人するまで「アンカラ学院」で過ごすことができた。オ会長は「トルコ軍将兵たちが毎週末私たちに食糧を持ってきてくれた記憶が数十年が過ぎた今でも思い浮かぶ」と語った。

 トルコ南部とシリア北部の国境地域に発生した大地震で、これまで1万人を超える死者が出ており、韓国でも彼らを救援するための支援活動が続いている。オ会長のように朝鮮戦争当時トルコ軍に助けられた高齢者たちも「いただいたものに比べると少ないかもしれないが、恩返しがしたい」として寄付や募金に参加しており、注目を集めている。

 黄海道延白(ヨンベク)出身のオ会長は、6歳だった1951年、トルコと縁を結んだ。避難中の爆撃で家族と生き別れたオ会長をトルコ軍将兵が発見し「アンカラ学院」に送ったからだ。オ会長を保護した「アンカラ学院」は、韓国に派兵されたトルコ軍将兵たちが1951年6月に京畿道水原市(スウォンシ)に建てた児童青少年保護・教育施設だ。将兵たちが戦線に残された孤児たちを一人ずつ兵舎に連れてきて保護していたが、その規模が大きくなり、アンカラ学院になった。トルコは戦後もアンカラ学院に大規模な施設と敷地を支援し、子どもたちの保護活動を支えた。

2021年、京畿道水原市にあるオ・スオプ会長(78)の事務室で公益法人アジア文化研究院のキム・グ・ヨングク院長(左)が「アンカラ学院」に関する証言を聞いている=アジア文化研究院提供//ハンギョレ新聞社

 オ会長は「『1・4後退(1951年1月4日、北朝鮮・中国両軍の攻撃を受けた韓国軍が行った前線の後退作戦)』当時、汽車に乗って平沢(ピョンテク)・烏山(オサン)方向に避難する途中、爆撃を受け水原に一人残された」とし、「当時水原にあったトルコ軍部隊に送られた後、アンカラ学院で中学、高校に通わせてもらい、18歳で就職して社会人になることができた」と語った。

 アンカラ学院に対する歴史を記録してきた公益法人アジア文化研究院のキム・グ・ヨングク院長は、本紙との電話インタビューで「当時、トルコ軍は戦争孤児だけでなく水原をはじめとする近隣の貧民と負傷者も支援した」とし、「様々な記録を総合すると、アンカラ学院は1979年になくなるまで、400~700人ほどの子どもたちを保護し、育てたものとみられる」と話した。

 1000万ウォンという大金を寄付することを決心したオ会長は、「これまでトルコからいただいた支援に比べると少ない」と話した。「大地震のニュースを聞いて、今度は私たちがトルコを助ける番だと思いました。トルコ軍のおかげで生き残って生活できるようになりましたから、心から助けたいと思いました。アンカラ学院出身のほかのアンカラ兄弟会メンバーたちも皆同じ気持ちだと思います」

コ・ビョンチャン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1079012.html韓国語原文入:2023-02-10 02:45
訳H.J

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