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韓国のある演劇俳優のMeToo、有罪まで3年…「被害語った瞬間、回復はじまる」

登録:2025-03-07 10:05 修正:2025-03-07 10:26
3・8国際女性デー 
「2012年劇団性暴力」被害者インタビュー 
事件が公になってから2年8カ月で加害者に懲役3年 
光州民主社会のための弁護士会主催の治癒ワークショップで、被害者のキム・サンハさんと手をつなぐ連帯者=キムさん提供//ハンギョレ新聞社

 20歳だった。キム・サンハさん(仮名)は演劇俳優になりたいという夢を抱いていた。2012年に光州(クァンジュ)のある劇団のオーディションに合格し、演劇界で第一歩を踏み出したが、2カ月後に劇団の代表に性的暴行を受けた。劇作家で演出家でもある加害者A氏は、初めて会った時から「私はお前を後押しできる」と言って、威力でキムさんに対して強制わいせつをはたらいた。照明を教えるということを口実に劇場で、練習後の会食の席で、1年以上も常習的な性暴力が続いた。

 2018年に演劇を辞めるまで、キムさんは地域の演劇祭などでA氏と顔を合わせ続けなければならなかった。キムさんに対する変なうわさがレッテルのように付きまとい、その記憶と時間はキムさんを長く苦しめた。心的外傷後ストレス障害(PTSD)でキムさんは精神科の薬を服用していた。A氏は犯行後も依然として確固たる地位を保っていたため、キムさんは過去のことを問題にできるとは考えられなかった。2022年6月になってようやく、キムさんは10年前のことを世に訴えることができた。

 光州地裁刑事11部(コ・サンヨン裁判長)は先月17日、強姦致傷などの疑いで起訴されたA氏に懲役3年を言い渡した。事件が公になってから2年8カ月を経て、キムさんら2人の被害者に性的暴行を加えたことが認められたのだ。

 「今まで自分の傷から逃げていたという考えが大きかった。できることがあればやってみようと決心したんです」

 キムさんに被害を語るきっかけをくれたのは、自分たちの傷を公にした人々だった。2018年の演劇界のMeTooを見て、キムさんは自身の受けた暴力が構造的な問題であることに気づいた。その後も光州の演劇界に反省が見られなかったため、キムさんは勇気をふりしぼった。自分と同じような被害を受けたもう1人の被害者とともに告訴し、対策委を作った。A氏だけでなく、A氏の妻であるB氏から受けた強制わいせつと、別の劇団の代表であり、共に演劇俳優としても活動していたC氏から受けた性的暴行被害も公開した。

 過程は容易ではなかった。事件を公にしてからキムさんが改めて感じたのは「共同体の暴力」だった。ある先輩がキムさんに電話をかけてきて、「光州の演劇界を否定的に描きすぎなのではないか。演劇界に対するおまえの暴露のことは、正直みんな良く思っていない。加害者たちが悪い考えを起こしでもしたら、どうするつもりなのか」と言われた。「光州の演劇人たちは非常に苦しむだろう」と言って、キムさんに罪の意識を植え付ける人もいた。仲間の俳優からの二次被害も相次いだ。キムさんは「悪いのは加害者ではあるが、単にその人だけの問題ではなく、それを黙認し容認する文化の中にいた人たちがむしろ被害者に罪の意識を植え付けようとする発言があった」と語った。被告人は全員、裁判で自らの容疑を否認した。検察はA氏に懲役10年、B氏に同6年、C氏に同5年を求刑した。

 裁判で過去を思い出し続けなければならなかったことが非常につらかったが、共に傍聴してくれる人がいたおかげでキムさんは毎回公判に出席し、裁判を見守ることができた。

 「ある友人も威力による暴力の経験があり、誰よりも積極的に私を助けてくれました。自分ができなかったことを私を通じてしているのだと言っていました。ものすごく力になったし、私一人だけのことではないという責任も感じることができました」

 法廷でA氏は「意思に反して強制わいせつした事実はなく、そうだったとしても傷害との因果関係はない」と主張した。しかし裁判所は「被害者の陳述は一貫しており、当時、被害者が被告の身体的接触または性関係に積極的に同意したとは考え難い」とし、「(当時、異議申し立てがなかったのは)劇団の代表であるという優越的地位を持つA氏に否定的にみられてはならないという考えや、演劇界内部における、ある程度の性的羞恥心や虐待行為は耐えなければならないという雰囲気などにより、適切な対処方法が見出せなかったためとみられる」と指摘した。そして「犯行が一度で終わらずに何度も繰り返されたこと、別の原因だけでは被害者にこの事件の傷害が発生した可能性が顕著に低いこと、などの事情を総合すると、被告の醜行および強姦行為はPTSDを抱える決定的かつ有力な原因となったと考えられる」と判断した。しかしB氏の強制わいせつについては、故意性と犯行日時の特定が難しいとして無罪を言い渡した。C氏の性的暴行については「抗拒不能」状態を狭く解釈し、やはり無罪を言い渡した。

 キムさんは「争った時間だけでも2年8カ月なのに、たった懲役3年では、私の苦しみは回復しないと思う」としつつも、「それでも被害を初めて認められた気分」と語った。

 キムさんは、過去の記憶で苦しんでいる他の被害者にこの言葉を伝えたいと述べた。

 「とりあえず語りはじめること。被害を語り出した瞬間、それが回復のはじまりになると思います。自分の被害に自分が改めて名前をつけてあげて、それがどんな感情だったのかをみつめるのは本当に苦しい過程ですが、そうやってはじめられたらと思います」

チャン・ヒョヌン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1185752.html韓国語原文入力:2025-03-07 06:00
訳D.K

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