韓国野党が「(大統領夫人)キム・ゴンヒ、(元警護処長で前国防長官)キム・ヨンヒョン派」と主張する大統領警護処内の「強硬派」キム・ソンフン次長(警護処長職務代理)とイ・グァンウ警護本部長、キム・シン家族部長は、キム・ヨンヒョン前国防部長官が尹錫悦大統領の警護処長を務めた時から勢いに乗ったという。尹大統領の沖岩高校の先輩であり政権の実力者であるキム・ヨンヒョン前長官が、「左派警護員」などの表現で警護処内部の「分裂」を図り、キム・ソンフン次長がキム・ゴンヒ女史などと直接意思疎通を図ってきたということだ。
12日、ハンギョレと単独インタビューに応じた警護処の現職幹部は「キム・ヨンヒョン処長体制で、警護処は完全に『政権実力者の組織』に生まれ変わった。VIP(尹大統領)と密着してあまりにも多くのイベントが行われ、キム次長がそのような部分で優れた企画力を示した」と語った。通信分野で採用されたキム次長は、通信部長と企画管理室長を務めたが、警護職群ではないため身辺警護の経験がなく、VIPとの緊張を破り、大統領側と過度に緊密な関係を結んできたということだ。同関係者は「警護処はVIPとあまりに近くなっても問題が生じ、あまりに遠くにいても問題が生じるので、常に一定の距離を保たなければならない」とし、これを「触手(手が届く)距離の原則」だと説明した。
キム次長が特に尹大統領側に注目されたのは、大統領職引継ぎ委員会時代からだ。大統領室の移転を控え、安保状況対処のために大統領府(青瓦台)の地下バンカー(国家危機センター)の使用は不可欠だという野党の指摘に対し、大統領室は「移動用指揮所である国家指導通信車両を使えば良い」と反論したが、この論理を提供したのがキム次長だという。同関係者は「キム次長は企画管理室長を務めていた間に警護処60周年行事などを企画し、キム・ゴンヒ女史にも警護処と関連してこまごました報告をしてきたという」と伝えた。同関係者は「たき火に近づきすぎると燃えてしまい、遠すぎると凍死する。警護の優先鉄則は適切な距離の設定だが、『キム・ヨンヒョン処長』時代、そのような原則が崩れた」と述べた。