SNSは「社会的ネットワークサービス(Social Network Service)」の略語だ。新しいインスタグラムのアカウントを一つ作っただけなのに、いきなり特別なネットワークの奥深くへと投げ込まれたような感じだった。ルドリのいた動物保護所の公式アカウントとボランティアたちが運用する宣伝アカウントをフォローしたのがはじまりだった。同じ保護所の出身犬たち、つまりルドリの故郷の先輩や同期と推定される犬たちのフォローが相次いだ。
-ルドリ、会えてうれしいよ。あんた、本当にかわいいね。私と友達になろうよ。
-モンモンイ、あなたもすごく素敵。仲良くしようね。
一人称の話し手(話し犬)のルドリとモンモンイの会話がコメントで続く。もちろん、彼らの後ろには人間がいる。ルドリの後ろに我が家の少女(娘)たちがいるように、モンモンイの後ろもそうだったようだ。そう考えてみれば、かわいいことだった。
何よりもうれしい「インスタ友達」はルドリの兄妹だった。ルドリは2男1女からなる3兄妹で発見された。他の2匹はルドリの数日前に引き取られていた。それが、私たちが急いでこの子を引き取ったきっかけでもあった。「ひとりにしておくわけにはいかないじゃないか!」
2匹はそれぞれ異なる町の飼い主に引き取られた。道で偶然会ったとしても、飼い主同士はお互いにそうとも知らずに通り過ぎていただろうと思うほど、ルドリとは外見がまったく違っていた。女の子の方は白い毛のパドゥギ(白黒)で、ルドリの体重の3分の1程度と思われるほど弱弱しく、男の子の方はモフモフの黄金色の毛で丸々としていてかわいい印象だった。保護所時代の、子犬3匹が母犬のそばで体を寄せ合っている写真を見ると、ルドリがとにかく圧倒的に大きく、まるで保育園の3歳の組に7歳のお兄ちゃんが混じっているように見えた。今やSNSを通じてその子たちのことをリアルタイムで知れるようになったのだ。彼らは新しい家族の愛を一身に受けて幸せに暮らしていた。彼らには、家族3と家族4(娘たち)に任せることなく、私が自ら会えてうれしいというコメントをつけた。あちらの飼い主も、これまで保護所のアカウントのフィードで、ルドリがひとり取り残され、引き取り先が決まり、ついにソウルまでやって来た過程をすべて知っていた。特別な縁だった。私たちのコメントの対話の一行一行からは、感慨無量な気持ちがにじみ出ざるを得なかった。
彼らは路上で生まれた命だった。野原と山に隠れて追われながら生き、人間に捕獲されて保護所の鉄格子で過ごしていたおチビちゃんたちが、偶然私たちの目に止まり、家族という名で共に暮らすようになったのだ。私たちには、私たちのみが知る共感の領域が存在した。ルドリの兄妹たちの住む馴染みのない町の名がいつのまにか身近に感じられ、いつかは3匹が集まって家族が再会する日も夢見るようになった。その日がやって来たら、3匹は互いに気づくだろうか。見かけが違い過ぎて、人は兄妹の集まりだとは絶対に気づかないだろう。そんなちょっとした想像が楽しかった。後日、この3兄妹は外見がまちまちであるのに対し、性格が特に敏感で繊細だという共通点があることが分かった。イヌにとっては生後3カ月までの経験が非常に重要だということを考えると、十分に理解できる。そして私が永遠に知り得ない、その生後3カ月間の時間を思うと心が重くなった。
最初は家族3と家族4が自発的に引き受けて楽しくやっていたルドリのSNS管理者の役目が私に回ってきたのには、決定的な契機があった。娘たちがルドリのアカウントでDM(ダイレクトメッセージ)を受け取ったのだが、少しおかしいと言うのだ。ある外国のおじさんがしきりにぎこちない口調で会話を求めてきているというのだった。案の定、何かがおかしかった。顔写真は西洋圏の中年男性で、フィードにイヌの写真が何枚かあるにはあった。しかし、イヌの種類や写真の背景がみな違うし、一貫性がなかった。どこかからコピペしてきたような感じがした。
-こんにちは。おはようございます。あなたのイヌはとてもかわいいですね。あなたはどなたですか?
翻訳機を使ったようだが、韓国語がうまくなりたいのなら、わざわざ子イヌのアカウントに話しかけることはないように思われた。不意打ちを食らったような気がした。子イヌのアカウントの背後には当然その子イヌを自慢したい飼い主が存在するという信頼は、いかに無邪気だったことか。無邪気さは時に危険を引き寄せる。そんなことも知らずに私は、10代になったばかりの娘たちに話し手役を認めたのだ。子どもたちの携帯電話からルドリのアカウントにアクセスできないようにし、私が管理することになった。やはりすべての任務は結局「母」に課された。(2に続く)