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旧日本軍の兵器工場病院建物は保存すべきか=韓国

登録:2023-01-24 20:31 修正:2023-01-25 07:48
仁川市富平区のキャンプマーケットB区域にある造兵廠病院の建物=仁川市提供//ハンギョレ新聞社

 富平(プピョン)米軍基地のキャンプマーケットには、旧日本軍の造兵廠(兵器工場)の病院として使われた建物があります。造兵廠は日本による植民統治時代に日本軍が兵器を作り保管していた施設で、朝鮮人が強制労働で建てたものです。この造兵廠には1945年の解放後に米軍の部隊が建てられ、造兵廠病院の建物は米軍も病院として使用していました。しかし、朝鮮戦争中にほとんど焼失し、米軍は残った病院の建物を多目的倉庫として活用しました。現在、植民統治時代に建てられた建物のうち残っているのは一棟だけです。

 富平米軍基地が返還され、この建物の存置あるいは撤去をめぐる論争が始まりました。キャンプマーケット市民参加委員会でも、土地浄化費用と時間的制約などを理由に撤去しようという側と、歴史的意味を考慮して保存すべきという意見が拮抗しました。長い議論の末、2022年6月に市民参加委員会は撤去後に復元するという結論を下し、仁川市も国防部に「事後復元を前提とした撤去」の方向性を通知しました。しかし、文化財庁が約2カ月後の8月に撤去猶予を要請し、仁川市は結局撤去を留保しました。

 その後、国防部、仁川市、文化財庁は造兵廠病院の建物をどのように処理するかについて改めて話し合いました。キャンプマーケット市民参加委員会でも同様に論争が繰り広げられました。9月に国防部、仁川市、文化財庁の3者が膝を突き合わせた結果、撤去する方向へと再び方針が傾きました。化学物質などで汚染されたキャンプマーケットの敷地の土壌を復元するには、病院の建物を存置した状態で行うには時間的に無理があるという理由からです。環境保全法上、土壌汚染の浄化期間は2年とされており、1年間以内で2回まで延長できます。しかし、病院の建物があるキャンプマーケットB区域は、すでに2年の浄化期間が過ぎており、2022年12月まで一度6カ月の期間延長をしました。もう一度延長しても長くても2023年12月には土壌汚染浄化期間が終了します。

 結局、国防部は2022年に造兵廠病院の建物活用計画を提示しなければ撤去するという内容を盛り込んだ公文書を仁川市に送りました。仁川市はこれに対し別途の公文書を送らず、国防部は2022年11月撤去のためのアスベスト(石綿)除去工事を行いました。このニュースが伝わると、地元の歴史学界から批判が相次ぎました。結局、仁川市は国防部に撤去留保を要請する公文を送り、国防部も仁川市と協議するまで撤去工事は中止することにしました。

 撤去は中断されましたが、キャンプマーケットの造兵廠建物をめぐる議論は終わっていません。むしろ撤去と中断を繰り返しながら利害関係者間の意見対立がさらに深まっています。仁川市は2022年12月から旧日本陸軍造兵廠歴史文化生態公園推進協議会、富平の森推進委員会などと3回にわたり「富平キャンプマーケット懸案疎通懇談会」を開きました。しかし対立が解消されるどころか、存置を主張する歴史文化生態公園推進協議会と撤去を主張する富平の森推進委員会の見解の相違は縮まりませんでした。結局、2023年1月18日に開かれた最後の疎通懇談会でも合意案はまとまりませんでした。仁川市は19日、国防部に中断していた土壌汚染の浄化作業を再開してほしいという公文を送る計画だと明らかにしました。歴史文化生態公園推進協議会は同日、仁川市庁で記者会見を開き、「仁川市は市民の意見を取りまとめ、造兵廠病院の建物の存置可否を決定せよ」と反対の意思を明らかにしました。

 キャンプマーケットの造兵廠病院の建物の処理方式は、キャンプマーケットD区域にある植民統治時代の近代建築文化財処理方式ともつながります。造兵廠病院の建物はキャンプマーケットB区域にあります。B区域は造兵廠病院の建物を除けば、存置の可否をめぐって意見対立のある建物はありません。しかし、D区域には71の米軍の建物があり、このうち25の建物に対して文化財庁は保存を勧告した状態です。造兵廠病院の建物を巡る議論がD区域でも繰り返されれば、その対立の様相はさらに大きくならざるをえません。これに対して市は、D区域は汚染土の浄化に先立ち十分な文化および歴史的調査が行われるようにすると明らかにしました。

イ・スンウク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/1076649.html韓国語原文入力:2023-01-22 11:50
訳J.S

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