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やつれた安重根の写真は果たして彼を貶めるための日帝による演出だったのか

登録:2021-02-11 03:39 修正:2021-02-12 08:38
[ノ・ヒョンソクの時事文化財] 
安重根義士を有名にした「断指」写した写真 
一部は「安重根義士を貶めるために演出」主張 
ト・ジンスン教授「民衆が感銘受けて記念用に購入」と反論 
14日、安重根の死刑判決から111年目
1909年11月、日帝当局が初めて公開した安重根の写真をもとに、日本人の業者が制作した写真ハガキ。鎖に縛られ、ひざまずいた姿。韓国内の学界の一部の研究者は、この写真ハガキが安重根を貶めるために作られたものだと主張してきた//ハンギョレ新聞社

 朝鮮侵略の元凶である伊藤博文を射殺した義士・安重根(アン・ジュングン、1879~1910)が独立の志士の中で最も有名な人物として一般に刻印されたのは、写真媒体の力が大きかった。1909年10月の壮挙から一月も経たないうちに、その容姿を写した写真が新聞とハガキで大量に流布され、大衆がこれを熱烈に購入するという前例のない現象が起きた。あっという間に韓国と日本全域に彼の顔が知れわたった。

 後代の韓国人には、彼は10種以上の多様な写真イメージとして記憶されている。薬指を第一関節から切った「断指」の痕が見える左手をコートの上にのせた姿や、白い韓服を着た死刑執行日の姿などは、愛国烈士の代表的なイメージとなった。日露戦争前後に日本で流行した写真媒体の伝播力のおかげだった。諸業者は各地に代理店を作り、写真を簡便な大きさのハガキ形式に印刷して迅速に流通させた。では、写真を撮ってハガキとして配布した日帝の意図はどこにあったのだろうか。

1909年11月28日付の「大阪毎日新聞」に掲載された安重根の写真をもとに制作された写真ハガキ。薬指の切られた左手を胸にあてたポーズが際立つこのハガキは、日本が安重根を貶めるために作ったという批判を受けた//ハンギョレ新聞社

 最近になって、歴史学者で昌原大学教授のト・ジンスンさんが、この議論に火をつけた。昨年末、歴史学会の機関紙「歴史学報」248号に「安重根写真ハガキと国際連帯:蔑視と称賛、そして専用・専有」と題する論文を発表したのだ。地上波で放送された安重根に関する複数のドキュメンタリーに向けたものだった。これらの番組は、日帝強占期に大量普及した写真ハガキが、安重根を蔑視するために意図的に生産されたと批判していた。

 2014年の8・15特集ドキュメンタリー「安重根105年、終わらない戦争」(文化放送)は、日本が配布した2枚の写真ハガキについて、安重根が鎖で縛られてひざまずかされ、やつれた姿で演出されていると主張した。日本のアナキストである幸徳秋水(1871~1911)がハガキに安重根を賛美する漢詩を追加した新たな版を製作し、既存のハガキの蔑視の試みを挫折させたという結論を下してもいた。ト教授はこれに対し「国粋的民族主義による誇張・歪曲」と反論する。写真の原本は安重根の身元を把握するための捜査資料だが、一般に流布することで、性格が記念物へと変わったという主張だ。

日本のアナキズム思想家、幸徳秋水が持っていた安重根義士の写真ハガキ見本。大阪毎日新聞の写真を使用した既存のハガキの説明を英訳し、写真には安重根を称える自身の漢詩を書き入れた。「命を捨てて義を取り、身を殺して仁を成した…」とある//ハンギョレ新聞社

 当時、新聞に安重根の写真が初めて登場したのは、義挙から半月後の1909年11月9~10日ごろだった。安義士が中国の旅順に身柄を送られ、尋問を受ける直前だ。犯人の本名は安重根だという事実と共に、2種類の写真が日本と韓国の新聞に掲載された。鎖に縛られ、足枷がはめられたまま戸の前に立つ安義士の全身写真とひざまずいた写真だった。

 「京城新報」は同年11月10日付で「凶漢アン・ウンチル(安重根)の写真」との見出しを付けて写真の来歴を記述している。警視庁をはじめとする各道の警察署に関係者の検挙のために配布されたというのだ。捜査用の写真を報道用として出したわけだが、業者がハガキの素材として用いたことで、朝鮮民衆の関心と崇拝が加速した。国内学界の一部は、鎖につながれた安重根の姿が写ったハガキは蔑視を意図したものだったと断定しているが、実際の流通と購入の様相は違っていた。写真の中の安重根の目つきと風貌に感銘を受けた大衆が、先を争ってハガキを購入したことから、困惑した当局が販売を厳禁にしたという記事が無数に残っている。

 1909年11月28日付の「大阪毎日新聞」が安義士の写真を用いて作ったハガキも同様だ。薬指が切断された左手を胸に当てた姿勢が際立つこのハガキは、2015年に大韓民国歴史博物館で開かれた「光復70周年記念特別展:響き、安重根に出会う」でも「犯罪者としての安重根を浮き彫りにしようとの意図から発行された写真ハガキ」と紹介された。このハガキには「伊藤公を暗殺せし安重根」というタイトルの下に「韓人は古来より暗殺の盟約として無名指を切断するの旧習ある右手(写真ママ。左の誤り)を撮影せしものなり」という説明がついている。日本では暗殺も復讐の一つとして正当化したり賞賛したりするケースがあるため、この文言を蔑視を意図したものと断定するには根拠が貧弱に思える。

サンフランシスコの韓人社会の新聞「新韓民報」1910年3月30日付掲載の安重根の写真ハガキ。幸徳が英文の説明をつけてもらうために送った見本を載せ、「万苦義士安重根公」と記されている。安重根の義挙に触発された韓日知識人のアジア平和運動の連帯を示す貴重な史料//ハンギョレ新聞社

 このハガキは20世紀初め、日本のアナキストである幸徳秋水が、安重根を称える漢詩を付けることで脚色された。米国の同志に送られ、英語の解説もつけられた。この過程で、韓人団体国民会議北米地域総会の機関紙「新韓民報」がハガキを入手し、安重根の殉国直後の1910年3月30日に追悼論説とともに紹介したという。

 幸徳が1910年6月に「大逆事件」で逮捕され処刑されたことで、彼の漢詩ハガキが印刷されることはなかったが、米国の同胞新聞が写真ハガキのイメージを掲載したことで世界に初めて知られることになったのだ。ト教授は「安重根の写真ハガキが米国に渡り、知識人の平和連帯を触発して伝播したのは、安重根の壮挙の世界的意味を示すエピソード」とし「閉ざされた民族主義に寄りかかってハガキを蔑視の産物としてのみ見るのは穏当ではない」と述べた。ちょうど旧正月連休の最終日の14日は、安重根が111年前に死刑を言い渡された日だ。

ノ・ヒョンソク記者、図版/ト・ジンスン教授提供 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/982647.html韓国語原文入力:2021-02-10 16:20
訳D.K

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