「多くの市民に見てもらえるように公共の場所に移すべきだ」、「懺悔の碑とともに今の場所にあるべきだ」
光復節を前に、全羅北道群山市錦光洞(クンサンシ・クムグァンドン)の東国寺(トングクサ)の境内にある平和の少女像の移転の是非をめぐって賛否の意見が対立している。
国内唯一の日本式寺院である東国寺は、日帝強占期の1913年、日本人僧侶によって建立され、「金剛寺」と名付けられた。韓国の伝統寺院とは異なる様式で、解放後には「東国寺」と名を変えた。1970年代に大韓仏教曹渓宗(チョゲジョン)に登録されている。
群山市民たちは義援金を集め、2015年8月12日に東国寺の中に平和の少女像を建てた。椅子に座っている少女像とは異なり、裸足で立っている姿をしている。
移転に賛成する側は、少女像設置の精神と趣旨を生かすためには、旧市役所広場や近代文化歴史通りに移すべきだと主張する。同市の市議会議員のソ・ドンワンさんは「私有地である東国寺にある平和の少女像を多くの市民に知ってもらうためには、人の来ない場所から公共の場所に移さなければならない。特に群山は日帝強占期に米の収奪というつらい歴史があるし、日帝に立ち向かって抗争していた都市であるだけに、少女像を日本式寺院に閉じ込めておくのはこのような歴史性に反する」と述べた。
群山市は昨年4月「日本軍慰安婦被害者記念事業の支援および平和の少女像保護管理条例」を作り、少女像を公共の場所に移して公共造形物として管理するための手続きを整備している。
一方、東国寺には日帝強占期の蛮行を懺悔する石碑が建てられていることから、少女像をその場に残してこそ意味があるという世論もある。
2012年9月、東国寺の前庭に日本仏教の代表的な宗派である曹洞宗所属の一部の僧侶によって、横3メートル、縦2.3メートルの懺悔の碑が建てられた。少女像のすぐ後ろにあるこの石碑には「懺謝文」(懺悔と謝罪の文)が日本語と韓国語翻訳で刻まれている。
碑文には「われわれは、重ねて誓う。二度と同じ過ちを犯さない、と。そして、過去の日本の圧政に苦しんだアジアの人びとに深く謝罪し、権力に組みして加害者の側に立って開教にのぞんだ曹洞宗の海外伝道の過ちを心より謝罪する」とある。東国寺は「懺悔の碑があるこの場所ですでに7年もの歳月が流れている。公共の場所に設置するには移転ではなく、むしろ少女像を新たに製作するという方向性もある」として、移転に否定的な見解を示した。
「群山平和の少女像記念事業会」は「アクセスなどの様々な側面から公共の場所に移した方が良いと言われているが、まだ決定を下してはいない」と述べた。群山市の関係者は「少女像設置を主導した当時の市民団体が適当な場所を見つけられなかったため、場所を東国寺に定めたと聞いている。各界の世論を集約して解決策を探る」と述べた。