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サイダーの火炎ビン、穴の開いた水筒…朝鮮戦争での白馬高地戦が残した備忘録

登録:2021-10-29 00:58 修正:2021-10-29 10:49
1952年10月、10日間で高地の優勢側が7回も交代 
銃弾が尽きて火炎ビンまで登場 
降り注ぐ砲弾を避けるため塹壕も2倍深く
熾烈な戦闘中に銃弾が尽きるという緊急状況で、韓国軍が炭酸飲料のビンで作った火炎ビン=国防部//ハンギョレ新聞社

 国防部は、9月から江原道鉄原郡(チョルウォングン)の非武装地帯、白馬高地(ペンマコジ)一帯で遺骨を発掘しているが、2カ月で26点の遺骨と5132点の戦死者の遺品を発掘したと28日に発表した。

 遺骨の正確な身元は、国防部遺骨発掘鑑識団が精密な鑑識や遺伝子(DNA)分析などによって確認する予定だ。白馬高地で発掘された遺骨と遺品は、当時の戦闘がどれほど熾烈だったかを示していると国防部は説明した。

 1952年10月、江原道鉄原にある白馬高地で、韓国軍第9師団は3倍を超える中国軍に対し、10日間で計12回の攻撃と防衛戦闘を繰り広げた。地域戦闘としては世界の戦史上類を見ないほど熾烈だったこの戦闘で、韓国軍は1万3000人あまりの中国軍を退けた。この戦闘後、第9師団は「常勝白馬」という称号を得て、白馬部隊と呼ばれている。

 国防部は、白馬高地地域の個人壕、交通壕などの陣地が、近くのファサルモリ高地地域に比べて2倍以上深く構築されていることを確認したと説明した。白馬高地では遺骨や遺品が約1.5メートルの深さから発掘された一方、ファサルモリ高地地域では最大で60センチの深さから発掘されている。国防部は、10日間で白馬高地での優勢側が7回も入れ替わるという当時の熾烈な戦闘下にあって、南北の軍人が双方とも降り注ぐ砲弾から生き延びるために、既存の陣地をさらに深く掘り進めたものだと説明した。

 収拾された26点の遺骨は完全ではなく、体の一部分のみ。国防部は、遺骨の状態から当時の白馬高地に降り注いだ砲弾による被害の状況を推測できると説明した。

 炭酸飲料のビンを用いた火炎ビンも発見された。国防部は、高地を奪い合う過程において、韓国軍が銃弾の尽きた緊迫した瞬間に火炎ビンを使用したと推定した。銃弾を受けて穴の開いた水筒も発掘され、当時の白馬高地戦闘がどれほど熾烈だったかを示している。

銃弾を受けて穴の開いた水筒=国防部//ハンギョレ新聞社

 白馬高地は、朝鮮戦争のさなかの1952年10月には中部戦線を代表する高地戦地域だった。南北は朝鮮半島で北上と南下を繰り返しながら戦争を繰り広げ、1951年7月10日から1953年7月27日までの約2年にわたって休戦会談を行っている間に、戦線は現在の軍事境界線付近で膠着した。この期間に1坪でも多くの土地を確保しようとして、中・東部戦線で熾烈な高地争奪戦が繰り広げられた。朝鮮戦争の軍人の死傷者の多くは高地戦で犠牲になった。

 国防部は9・19南北軍事合意により始まったファサルモリ高地での遺骨発掘の成果をもとに、白馬高地一帯の非武装地帯での遺骨発掘を続けている。国防部は、朝鮮戦争の戦闘記録や白馬高地参戦勇士の証言、白馬高地の現場の地形的特性などを研究し、遺骨発掘を進めていく計画だ。

クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1016986.html韓国語原文入力:2021-10-28 11:33
訳D.K

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