10日に共に民主党の大統領候補に選出されたイ・ジェミョン京畿道知事(57)の人生を貫くキーワードは「非主流」だ。貧しかったため学校ではなく工場に通わなければならず、司法試験に合格すると判事・検事ではなく人権弁護士としての道を選んだ。また「汝矣島(ヨイド、日本でいえば永田町のような場所)政治」ではなく地方自治体の首長として政治の筋肉を鍛えた。「弱者の生活を包み込む抑強扶弱(強い者を抑え、弱いものを助ける)の政治で、あらゆる人々が共に幸せに暮らす大同世上(全ての人が仲睦まじく平等に暮らす世の中)を目指す」(7月1日の大統領選挙出馬宣言)との誓いは、彼が歩んできた道を投影する。
「失うもののない貧困家庭…名もない少年工」
「失うもののない『さじ無し』(裕福な家庭の子どもを意味する「金のさじ」から、貧しい家庭の子の意)」というイ候補自身の言葉どおり、彼の少年時代は貧しさに支配されていた。1964年、慶尚北道安東(アンドン)の貧しい農家に5男2女の5番目として生まれた彼は、小学校卒業後、京畿道城南(ソンナム)に移住した。貧しかったため中学校には行かず、工場で働く「少年工」となった。働いていた時にプレス機に左手首の関節がはさまれて捻じ曲がる事故に遭い、障害6級判定を受けた。イ知事は今も、曲がった腕のため気をつけの姿勢が取れない。
彼は、高校を卒業して工場の幹部になれば殴られなくなるだろうと考えた。居眠りしないようにするため机に画びょうを立てて勉強し、ついに検定試験で中学高校を終えた。続いて奨学金と生活費が支給されるとの条件で、1982年に中央大学法学部に入学した。貧困から抜け出したかった彼は、入学式で母親と写真を撮った時にこう言った。「俺は大きくなる。そして母さんにうんと贅沢な暮らしをさせてあげるんだ」(『人間イ・ジェミョン』より)
しかし大学入学後、光州(クァンジュ)5・18民主化運動の真相を知ったことで考えが変わった。市民が虐殺された写真に接し、5・18の真実を伝えていた友人たちが連行されるのを見て、世の中を変えることを決意した。「光州は救いであり、私の師匠であり、私の社会意識の根だ」(『イ・ジェミョンの曲がった腕』より)
社会運動する弁護士から政治家に
彼は1986年に司法試験に合格した。司法研修院18期として入所して労働法学会を作ったほか、司法改革を求める声明を発表した。また、当時は釜山(プサン)の人権弁護士だった盧武鉉(ノ・ムヒョン)の司法研修院での特別講演を聞き、人権弁護士の道を進むことを決意した。
城南市にある「弁護士イ・ジェミョン」の事務所の机には、「民生弁論」と書かれた額が置かれていた。弁護士イ・ジェミョンは、「民主社会のための弁護士会(民弁)」で活動を行い、労働・人権問題での弁論を主に担当し、1995年には城南市民の会の創立メンバーとなり、「市民活動家イ・ジェミョン」へと活動の領域を広げた。「盆唐区(プンダング)の柏宮洞・亭子洞地区用途変更」の不正疑惑を提起したほか、「パークビュー特恵分譲事件」などを暴いた。
城南の2つの総合病院が同時に廃業し、地域医療の空白が生じることが懸念された際には、彼は市民と共に城南市立病院の設立運動に乗り出す。しかし2004年当時、ハンナラ党が掌握していた城南市議会は、住民発議案を47秒で否決してしまった。これが、社会運動だけでは世の中は変えられないとしてイ候補が政治への入門を決意した契機となった。
その後、2006年の5・31地方選挙では、与党開かれたウリ党の候補として城南市長選に、2008年の第18代総選挙では城南市盆唐甲選挙区から統合民主党の候補として出馬したが、いずれも落選した。2010年に民選第5期城南市長に当選し、2014年にも再選に成功した。貧困の経験は、城南市長在任時代の青年配当、無償産後調理院、無償制服援助などの福祉政策シリーズへとつながった。
推進力は強いが…「非主流の政治家」としての限界も
2017年の「ろうそく大統領選挙」を前に、民主党の大統領選予備選挙に出馬した。「政経癒着を断ち切るため」出馬したという彼は、予想を上回る得票率(21.2%)で3位を記録した。2位のアン・ヒジョン忠清南道知事(当時)との差はわずか0.3%にすぎなかった。
翌年の2018年、城南市長3期目は目指さずに京畿道知事選挙に挑戦し、56.4%の得票率で自由韓国党のナム・ギョンピル候補(35.5%)に圧勝した。
「イ・ジェミョンはやります」というスローガンは、イ候補の果敢な推進力を端的に表す言葉だ。京畿道の渓谷・河川を私有化した不法施設物整備や、昨年のコロナ禍で現場指揮にあたったこと、基本所得・災害支援金による対応などは「行動するリーダーシップ」を示したとの評価を得た。
ただし、女優との不倫スキャンダルや、兄嫁に対する暴言などへの批判が起きているほか、歯に衣着せない物言いで「サイダー発言」と呼ばれる大胆な言葉遣いはたびたび物議を醸している。彼は6日、「政策的安定感は私が大韓民国の政治家の中で最強だと自負する」としつつも「ただ心情的には品格がなく、言葉も荒っぽいと思うし、これは直さなければならない」と述べている。
中央政治の経験がないということも弱点と指摘される。ただし彼は「辺境の将」という評価については次のように述べている。「政治的辺境はむしろ大きな挑戦を目指すベースキャンプになる。歴史的には、大きな変化はいつも辺境で芽生えてきた」(『イ・ジェミョンはやります』より)。ただし、側近だった城南都市開発公社のユ・ドンギュ元本部長の不正疑惑が起こったことなどから見て、城南市長時代に共に働いていた人物が大統領選挙で彼の足を引っ張るのではないかと懸念する声もあがっている。