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「“生き残る”を超えて、心豊かに暮らしたい」二十歳のトランスジェンダー青年の物語

登録:2021-03-31 10:12 修正:2021-03-31 11:51
[3・31国際トランスジェンダー認知の日] 
20代のトランスジェンダー青年の声 
「ピョン下士が足を止めた地点から 
一緒に始めようと言いたい」
27日、ピョン・ヒス下士の復職と名誉回復のための共同対策委がソウル市庁広場で開いた「ピョン・ヒス下士を記憶するトランスジェンダー認知の日共同行動」記者会見に出席した市民たちが、トランスジェンダーを象徴するピンク・空色・白の傘を持っている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社
「トランスジェンダー・ギルバート」という名のこのフォントは、性的マイノリティ活動家のギルバート・ベイカーを称えて作られた英文書体「Gilbert」のハングル版書体の一つ//ハンギョレ新聞社

国際トランスジェンダー認知(可視化)の日 
3月31日はトランスジェンダーの生を世の中に知らせる日だ。この日、全世界でトランスジェンダーの存在を社会に示し、彼らが直面する差別と嫌悪をなくすための様々な活動が展開される。米国のトランスジェンダー活動家レイチェル・クランドールが提案し、2009年から始まった。

 2020年入学の大学生ハウルさん(20、仮名)の3月5日はいつもと変わらなかった。2年生1学期の1週目の授業の準備をしていた。教授に連絡し講義の参考にする本も前もって読んでおいたところだった。その日、ピョン・ヒス元下士が亡くなったという知らせを聞いた。トランスジェンダー女性のハウルさんは「全身が崩れ落ちる」ような衝撃を受けた。

 ハウルさんは勇気を出して教授にメールを書いた。ピョン元下士の葬儀に参列しようと思うが、出席を考慮してもらえるか尋ねた。すぐに返信が届いた。「葬儀に行ってきなさい。ピョン・ヒス下士をいつも応援して支持していました。次に会ったときにピョン・ヒス下士がどんな方だったか、話してくださいね」。返事を読み、ハウルさんは泣いた。

 3月31日は国際トランスジェンダー認知(可視化)の日だ。本紙は、20歳の大学生ハウルさんなどトランスジェンダーの若者4人にインタビューした。彼らはあらゆるタイミングで自分のアイデンティティをかけた選択をしなければならない。自分を隠して自ら孤立したり、自分をさらして外部からの攻撃を覚悟したり。なかでもハウルさんは、隠すよりもさらけ出し、周りと力を合わせて奮闘する方を選んだ。家庭・学校・日常で突き当たる差別と排除によってさまよいもしたが、その度に手を差し伸べてくれた人たちとともに乗り越えてきた。平凡な20代の若者だが、平凡ではない出来事を経験したハウルさんの話を聞いた。

■ 家族

 2016年、中学2年生だったハウルさんは、自分がトランスジェンダーであることを知った。男の子たちよりも女の子たちと一緒にいる方が楽だった。かなり前からジェンダー・ディスポリア(性的違和)を感じていたが、自分の指定性別(男性)と内面の性別(女性)が一致しないということを確信したのはその時だった。親しい何人かの友達に「私、こっち(トランスジェンダー)みたい」と伝え、髪を伸ばし始めた。

 指定性別が男性である彼女が髪を伸ばすと、すぐに学校で噂が広がった。ハウルさんの性別アイデンティティの話は、両親の耳に入った。その時から、ハウルさんを囲む「すべての平凡な空間が崩れる」ようになった。

 両親はハウルさんの性別のアイデンティティをなかなか理解できなかった。普段から性的マイノリティも尊重すべきだと口にしていた両親だが、いざハウルさんがトランスジェンダーだという事実を知ると、ショックが大きかったという。「小学校6年生以降は絶対に体罰をしないと約束するほど柔和な家庭だったけど、その後は約束がやぶれて、死ぬほどケンカするようになりました」

 トランスジェンダーなどの性的マイノリティの若者たちが、自分の性的アイデンティティで真っ先に冷遇や排除を経験するのは、大半が家庭だ。青少年の性的マイノリティ危機支援センター「ティンドン」が昨年7月に公開した5年間の相談・支援事例(2055件)によれば、家族内の葛藤や虐待の訴え(32.2%)、自立・脱家庭(35.6%)の相談・支援件数が多かった。家族との葛藤に耐え切れなかったハウルさんも、中学2年の2学期に家出した。

■ 学校

 2年後、ハウルさんは両親と学業という折衷点を求めて家に戻った。韓国には性的マイノリティの生徒、特にトランスジェンダー生徒が頼れる学校はほとんどない。人権委の調査では、トランスジェンダーの回答者の67%が「在学当時、教師が授業中に性的マイノリティを蔑視する発言をするのを聞いた」と答えた。性的マイノリティに関する性教育の不在(69.2%)、性別アイデンティティに合わないトイレ利用(51.7%)も学校で経験したつらい経験として挙げられた。ハウルさんは高校入学のために自分が通える学校の学則を一つ一つ調べていたところ、校則に「性的マイノリティを差別してはならない。性的マイノリティの生徒のための施設に配慮しなければならない」という条項のある学校を見つけた。

 入学はしたものの、2つの性別のうちどちらにも属さないという孤立感は、単純に校則では消えなかった。学校は1人用の障害者トイレを一種の「ジェンダーニュートラル(性的に中立な)トイレ」に指定し、ハウルさんが使用できるようにした。学校の支援なしに施設への配慮だけで解決できる問題ではないということは、後から分かった。「男の子たちは男の子同士で遊んで、女の子たちは女の子同士で遊ぶので、私はどこにも入れなかった」。ハウルさんは結局3カ月で自主退学した。

27日、ピョン・ヒス下士の復職と名誉回復のための共同対策委がソウル市庁広場で開いた「ピョン・ヒス下士を記憶するトランスジェンダー認知の日共同行動」記者会見に出席した市民たちが、トランスジェンダーを象徴するピンク・空色・白の傘を持っている=キム・ヘユン記者//ハンギョレ新聞社

 2度も学校を辞めるという経験は、耐えがたい自責の念となってハウルさんを苦しめた。いつも優等生だった友達が性的アイデンティティの問題で親とぶつかった後、勉強をやめる事態まで起こると、ハウルさんは大人たちに腹が立った。「私のトランスジェンダーの友達はほとんどが自主退学しました。当然助けなきゃならない大人たちが何の責任も負わず、自分の生徒が、自分の子どもが、ぎりぎりに追い詰められるまで放置するということが、とても恥ずかしく腹が立ったんです。私くらいは大学に入らなきゃ、私のあとにくる同年代の子たちのためにも一生懸命勉強しよう、その時そう決心しました」

 嫌悪と差別は、学校の外で一人で勉強に取り組むハウルさんに執拗につきまとった。予備校の講師は受講生たちの前で「お前が変に髪を伸ばしているのは、他の人の立場からすると見苦しいぞ」と叫んだ。修学能力試験(大学入試)場には面識もない男子生徒らの一団が集まってきて、ケンカを売ってきた。「なんで女子が男子の試験場にいるんだ。こいつが男か女か確認するために、脱がせてみようぜ」。ハウルさんは「正気でないまま」修学能力試験を受けた。論述がなかったら希望の大学に進学できなかったかもしれない、と話した。大学合格を確認すると、ハウルさんはその場にへたりこんでしまった。

昨年4月、チューリップ連帯のメンバーがチューリップ教室を準備している=チューリップ連帯提供//ハンギョレ新聞社

■ 連帯

 ハウルさんは自分が「ほかのトランスジェンダーの青少年たちに比べれば、ずっと運がいい人」と言った。高校を辞めた後、家庭教師をしてくれた大学生は団体での活動中に出会ったトランスジェンダーの知人だった。ある教会は、ハウルさんを性的マイノリティ青少年のための危機支援センターにつないでくれたりもした。

 ロールモデルは、と尋ねる質問に、ハウルさんは自分に手を差し伸べた一人一人がロールモデルだと答えた。「ほとんどの性的マイノリティの友達は自分が頼る大人に正常な経路で会うことができません。デートアプリで大人に出会い、性搾取に巻き込まれることもあります。私は幸い人権団体とコミュニティーで本当に良い人ばかり出会いました」

 ハウルさんは自分が受けた連帯の助けを、いっときの自分のように学校外でさまようトランスジェンダーの青少年たちに返したかった。「検定試験や大学にむけて勉強するのは、学歴の問題もありますが、実は青少年期に社会化されたり教育を受けられる空間から追い出されたという経験自体が消えない傷になるんです。自分たちだけで、どう行動すればいいのか誰も教えてくれないから家にばかりこもって、孤立した状況で自分を責めるようになります。そんな時に、誰かが手を差し伸べてくれれば悪循環を断ち切ることができます」

 ハウルさんは昨年4月、自分が所属するトランスジェンダー青少年団体「チューリップ連帯」を通じてチューリップ教室を企画した。自主退学したトランスジェンダーの生徒らが、検定試験を準備できるよう、先輩の大学生らが1対1のメンターを行うプロジェクトだった。シールやバッジなどいろいろなグッズを作って販売する方法でファンディングをし、172人の後援で390万ウォンが集まった。そうして集めたお金で、昨年6月から3カ月間、ハウルさんをはじめ4~5人の専門教師が全羅道、仁川など各地から来た5人のトランスジェンダーの青少年に検定試験の教科を教えた。勉強のスケジュールを一緒に組み、進路に合う講師を招き、悩み相談をした。周りの助けで悪循環を断ち切ったハウルさんは、自分の場所で連帯の好循環を作るために奮闘した。

昨年3月11日、ソウル麻浦区の軍人権センターで、ハンギョレのインタビューに応じたピョン・ヒス下士は、「希望を失っていない」と話していた。ピョン下士は3月3日、遺体で発見された=カン・ジェフン先任記者//ハンギョレ新聞社

■ ピョン・ヒス

 ハウルさんはピョン元下士がメディアに知られる前の2017年、青少年性的マイノリティのための親睦会で彼女に会ったことがある。ピョン元下士はその会に軍服を着て現れた。職業軍人のトランスジェンダーはハウルさんにとっても驚きだった。「兵士ではなく副士官だと言っていました。職業軍人にもトランスジェンダーの人がいるんだ、と、私が知っていた世界が一皮むけるような気分でした」

 3年後、ピョン元下士に再会した。チューリップ連帯が作った定期的な集まりの場でのことだ。当時は軍の強制退役でもう職業軍人ではなかったが、ピョン元下士の様子は明るかった。「私たちがチューリップ教室を準備すると言ったら、気づかないうちに飲み物の勘定を済ませて帰られたんです。その時すでに生計が苦しかったというのは、後になって聞きました」

 ピョン元下士が亡くなった後、ハウルさんの目標はもう少し明確になった。「ピョン下士を思い出しながら言う言葉に、『生き残ろう』という言葉がありますよね。一日一日をなんとか耐え抜こうということですが、私はそれを乗り越えなきゃならないと思いました。ピョン下士は、単に生きるだけでなく『心豊かに生きて』、一緒に働いた同僚たちの支持を得たでしょう。痛みを分かち合い、喜びも分かち合いながら、堂々と心豊かに暮らそうって、ピョン下士が足を止めたところから一緒に始めようって、同年代のトランスジェンダーたちにそう言いたいです」

イム・ジェウ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/988904.html韓国語原文入力:2021-03-31 07:55
訳C.M

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