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「強制動員被害者のための記憶闘争」…光州市民、歴史館建設を推進

登録:2021-03-22 01:39 修正:2021-03-22 07:02
光州勤労挺身隊市民の会が提案
太平洋戦争犠牲者光州遺族会のイ・クムジュ元会長は、日帝による強制動員の被害者の損害賠償と真相究明に力を注いできた//ハンギョレ新聞社

 光州(クァンジュ)の市民団体が日帝による強制動員の歴史資料を保管する市民歴史館の建設を推進する。

 「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」(以下「市民の会」)は21日、日本企業による強制動員の歴史に関する記録を展示する「日帝強制動員市民歴史館」(仮称)事業を推進することを決めたと発表した。

太平洋戦争犠牲者光州遺族会のイ・クムジュ元会長が被害者たちに会って記録した資料//ハンギョレ新聞社

 市民の会は、太平洋戦争犠牲者光州遺族会のイ・クムジュ(101)元会長から2012年5月に預かった資料を事務所に保管している。この資料は、文書類が609点、刊行物が603冊、ビデオテープが112本、集会用品などが346点にのぼる。1988年の「太平洋戦争犠牲者遺族会」の結成を主導したイ元会長は、1000人以上の被害者たちの強制動員場所、具体的な被害内容を詳細に日本語で記録する作業を行った。この記録は、日帝強制動員の実情を具体的に把握した最初の資料だった。

イ・クムジュ元会長の資料//ハンギョレ新聞社

 イ元会長は「強制徴用の被害者と家族が、その体験を訴えられる場所ひとつない境遇にあるということを知り、彼らの痛みを記録し始めた」という。イ元会長の夫は、結婚してわずか2年の1942年11月、生後8カ月の息子を置いて、日本の海軍軍属として強制徴用された。イ元会長は1945年4月、夫の死亡通知書を受け取った。1988年の太平洋戦争犠牲者遺族会の結成を主導したイ元会長は、光州遺族会の会長を務めた。強制動員の被害を訴える人たちが光州・全羅南道をはじめ全国各地からイ前会長を訪ねてきた。

イ・クムジュ元会長が2018年7月18日、東京の品川駅前で日本企業による強制動員被害に対する損害賠償を求めている//ハンギョレ新聞社

 イ元会長は日本の市民団体と連帯し、日本の司法に損害賠償を求める法的闘争に立ち上がった。1992年に強制徴用者1273人が東京地方裁判所に提訴した「光州1000人訴訟」の中心には、イ元会長がいた。イ元会長は、強制徴用被害者の証言をもとに訴状の執筆にもかかわった。続いて浮島丸爆発沈没事件訴訟、関釜裁判、B・C級戦犯(捕虜監視員)訴訟、名古屋三菱朝鮮女子勤労挺身隊損害賠償請求訴訟も主導した。

2012年、イ・クムジュ元会長が光州を離れる前に、光州南区真月洞の自宅の前に立っている//ハンギョレ新聞社

 2008年までの16年間の訴訟の歴史は、すなわち「敗北の歴史」だった。この時期、日本の裁判ですべて負けている。しかしこの時間は、もう一つの歴史を記す礎となった。三菱朝鮮女子勤労挺身隊の被害者ヤン・クムドクさんらは2012年10月、光州地裁に三菱を相手取って訴訟を起こし、2018年11月に最高裁で最終勝訴した。2012年に息子と嫁を相次いで亡くしたイ元会長は、光州を離れる際に「ラーメンの箱」30箱分の資料を市民の会に預けた。

イ・クムジュ元会長の資料が市民の会の事務所に並んでいる//ハンギョレ新聞社

 イ元会長の資料には、7つの訴訟に参加した原告の名簿、日本の法廷での証言内容、陳述書、日記、国内外のメディアの報道資料、月例会議録、写真や映像などが含まれている。特に、1990年から2010年までの日記や月例会議録などの、大学ノート10冊分の記録には、強制動員被害者の鬱憤と恨(ハン)が生々しく記されている。

イ・クムジュ元会長が保管していた資料//ハンギョレ新聞社

 市民の会は、近日中に光州広域市に寄付金の募集と使用についての計画書を提出するなど、市民募金運動を開始する予定だ。市民の会のイ・クゴン常任代表は「せめて今からでも、被害者たちの記憶、恨と悲しみを記憶し保存する、第二の『記憶闘争』を始めなければならない。強制動員被害者の恨と悲しみが染み込んだ資料が事務室の外に出て、貴重な歴史の記録となるよう、市民が暖かい日の光となってほしい」と訴えた。

写真:「勤労挺身隊ハルモニと共にする市民の会」提供

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/987633.html韓国語原文入力:2021-03-21 18:06
訳D.K

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