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「軍需工場で死んでいった友人たち…一言でいいから、日本に謝ってほしい」

登録:2021-01-20 06:32 修正:2021-01-20 17:25
「勤労挺身隊」被害者ヤン・クムドクさん
日帝強占期(日本の植民地時代)の三菱勤労挺身隊動員被害者のヤン・クムドクさん=勤労挺身隊ハルモ二と共にする市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 「嬉しくて、胸がいっぱいになりました。92歳にもなって、自分のことを綴った本が出ましたからね。無駄な人生ではなかったと思います」

 日本による植民地時代時に朝鮮女子勤労挺身隊(以下勤労挺身隊)として強制動員されたヤン・クムドクさん(92)は19日、「市民たちが記憶してくれたことに感謝する」と述べた。「勤労挺身隊ハルモ二(おばあさん)と共にする市民の会」(市民の会)は最近、『死ぬ前に聞きたい一言』(クムトゥル刊)という書籍名で強制動員被害者のヤンさんの「自叙伝」を出版した。ヤンさんが記憶をたどって口述したことを、市民の会が175ページの本にまとめた。

中学校を進学させてあげると騙して“脅し“まで 
三菱重工業の“賃金”約束も偽り 
2018年に勝訴したが、謝罪・賠償ない

強制動員被害者ヤン・クムドクさんの記憶の本『死ぬ前に聞きたい一言』の表紙=クムトゥル提供//ハンギョレ新聞社

 全羅南道羅州(ナジュ)出身のヤンさんは1944年5月、「中学校に進学させてあげる」という日本人校長の言葉に騙され、“日本行き”に志願した。勉強と運動が得意で学級委員を務めた彼女は、日本へ行って上級学校に進学したかった。しかし父親の猛反対に遭い、ヤンさんは翌日「行かない」と担任に話した。しかし「指名を受けたのに行かないなら、親を捕まえて拘置所に入れる」という担任教師の言葉を聞いて怖くなったヤンさんは「棚から父の印鑑をこっそり取り出して担任教師に渡した」と、自叙伝に記している。

 こうしてヤンさんは、勤労挺身隊隊員として日本に渡った。勤労挺身隊とは、日本が1944~45年、アジア太平洋戦争末期に三菱重工業など日本にある3カ所の軍需工場に動員した13~15歳の未成年女性たちをいう。全羅道(138人)と忠清道(150人)地域の未成年女性288人が連れていかれた。

 三菱重工業名古屋航空機製作所に動員されたヤンさんは1944年12月7日、工場で東南海地震に見舞われた。わずか10分の間に生死が分かれた。「休み時間に(私より)10分先に(作業場に)入った羅州の先輩のチェ・ジョンレと同期だったキム・ヒャンナムが崩れた壁の下敷きになり、その場で死んだ」という事件は、一生のトラウマになった。当時の地震で光州(クァンジュ)や全羅南道出身の10代の少女6人が死亡した。崩れた壁の隙間に閉じ込められて命を取り留めたヤンさんは「その時、左肩にけがをして、今でも後遺症が残っている」と語った。光復(植民地からの解放)後、やっとの思いで1945年10月に故郷に戻るまで、三菱重工業で重労働を強いられたにもかかわらず、給料は一銭ももらえなかった。「『君たちの故郷の住所を知っているから、給料を送ってやる』という日本人の言葉はすべて嘘だった」

 帰国後は「もう一つの不幸」が始まった。周りから「日本軍慰安婦」として日本に行って帰ってきたと誤解され、縁談も破談になった。挺身隊という名称のため、生存帰還者のうちかなりの人が「日本軍慰安婦」と誤解され、離婚など様々な苦労を強いられた。姉の紹介で会った夫も結婚して間もなく、彼女を「慰安婦」と誤解し、家を飛び出した。「10年ぶりに病気の体で3人の男の子を連れて帰ってきた夫」はすぐにこの世を去った。光州に来てテイン市場でイシモチを売る商売を始めたヤンさんは「今でも誰よりもきれいにイシモチを縄で編む自信がある」と語った。彼女は「働かなければ飢え死にするところだったので、1日も休まず一生懸命に働いて、6人兄弟の学費を稼ぎ、結婚させた」と話した。

2013年10月4日、光州地裁204号法廷で開かれた三菱重工業を相手取っての損害賠償請求訴訟に出席したヤン・クムドクさん(右から二番目)=勤労挺身隊ハルモ二と共にする市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 三菱重工業を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしたのは1992年ごろだった。高橋信という日本人が「三菱工場に強制動員された人を探している」という話を聞き、彼女はこれまで隠してきた強制動員の事実を明かした。1999年3月、日本の裁判所に損害賠償請求訴訟を起こしたが、いずれも敗訴し、2012年に光州地裁に訴訟を起こした。2018年11月、最高裁(大法院)で最終勝訴したが、依然として日本政府の妨害のため、謝罪と賠償を受けることができない。

 ヤンさんは「一言でいいから、謝ってほしい。『申し訳ございませんでした。ご健康をお祈りします』の一言でいいのに、(それが聞けないから)はらわたが煮えくり返る思いだ」と語った。彼女は自叙伝に「謝罪と賠償を受けるまで良識ある日本人と最後まで闘いたい」と書いた。

 しかし、歴史を見るハルモ二の視線はいつも楽天的だ。「日本政府に謝罪してもらえなくても、光州市民と高校生たちが訪れ、歴史の話を聞いて、『元気でいてください』と慰めてくれるから、力が湧きます」

強制動員被害者キム・ソンジュ、キム・チョンジュ姉妹の記憶の本『乾かない涙』の表紙=クムトゥル提供//ハンギョレ新聞社

 市民の会はまた、ほかの勤労挺身隊被害者であるキム・ソンジュさん(92)とキム・ジョンジュさん(90)姉妹の人生をつづった自叙伝『乾かない涙』も出版した。キム・ソンジュさんは、順天(スンチョン)南国民学校を卒業し、1944年6月に三菱重工業に強制動員された。妹のキム・ジョンジュさんは「日本へ行けばお姉さんに会える」と言われ、1945年2月、国民学校の卒業式を目前に控えて日本の不二越に連れて行かれた。キム・ジョンジュさんが、不二越を相手取って起こした損害賠償請求訴訟も、2019年にソウル高裁で勝訴し、最高裁の最後の判断を待っている。

 自叙伝2冊の発刊費1千万ウォン(約94万円)は、「美しい財団」とクラウドファンディングプラットフォームの「カカオ共に価値」が推進したオンライン募金運動を通じて564人の直接寄付と9384人の参加寄付で用意された。日本市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」も30万円を寄付した。

チョン・デハ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/979481.html?_fr=mt1韓国語原文入力:2021-01-2002:36
訳H.J

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